Book Title: Bhava And Svabhava
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Page 18
________________ ダルマキールティの「本質」論 である。そしてその能力は因果性 (hetubhava)と別ではない。従って、ある場 所や時間(X)には生じることなく、それとは別な場所や時間 (Y)に生じてい る bhava は、そ(のY) に依存していると言われるのである。 ......だから、 その場所や時間が限定されているが故に、煙はそれ(原因総体)があれば一度知 覚され、そして「原因総体が一部でも]欠損すればまた知覚されなくなる場合、 これ(煙)の本質 (svabhava)は、それ(原因総体)によって生み出されるの である。さもなくば、たとえ一度たりとも生じるわけがないからである。それ (原因総体)によってそれぞれに定まっているそれ(煙)が、どうしてそれ以外 の状況で生じようか(生じない)。あるいは、もし生じたとしたら、それは煙 (結果)ではあるまい。 そしてこれに引き続き、以下のように、煙と火の関係が説明されて、非逸脱関係の構 造が最終的に結論される: 何となれば即ち、それ(原因総体)より生じた特定の本質自体 (svabhavavisesa) が煙なのである。同様に原因 (火)といわれるものも、そのような結果を生み出 す本質自体である。それ(煙)が[火]以外からも生じるならば、そ(の煙を生 み出すという本質)が、それ(火)の本質として成立しないのであるから、一度 とて[火が煙を]生み出すことはなかろうし、[煙らしきものが昇っても、実は] それは煙ではないであろう。「それは]煙を生み出すことを本質としないものか ら生じたことになるから。だから、それ(煙)を生み出すことを本質とするもの、 それこそ火である。かくて「煙は火を]逸脱しないのである。 以上の議論をまとめると次のようになろう。まず Dharmakirti は、煙に代表される 「結果」を存在物(bhava) と捉える。原因をもたないものは恒常的存在・非存在のい づれかであるが、bhava はある時にのみ存在するから、原因をもたないものではあり えず、何らかの原因によって生み出されたものにほかならない。そしてその原因とは 煙を生み出す能力を本質としてもつものであり、そのようなものが「火」と表現され る。同様に、煙も火によって生み出されたものといえる。このように Dharmakirti は原因と結果を、原因は結果を生み出す能力あるもの、結果は原因によって生成され るものというように、本質 (svabhava) を介する二つの存在物(bháva) の相互依 存的関係のもとにとらえるのである。 このような原因と結果の関係は、瞬間的(ksanika) という語こそ用いていないが、 恒常との対比のもとに場所や時間を論点として取り入れている点や、原因の svabhavaを生み出すもの (janaka)とする点(各下線部参照)、さらにその svabhava を能 カ(sakti)とする点から考えて、存在レヴェルで成り立っ関係であると結論して間 違いあるまい。 44 -17 -

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