Book Title: Laksana Laksyartha
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Page #1 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LAKSANA D EXT LAKSYARTHA (II) 一転義法による語の文脈的意味一 小林信彦 IV laksana 分類の検討 前章では, KP karika の順序を追って, laksana の種類を列挙した(前号 p. 13 表)。 しかしながら, KP のこの分類図式には、問題にすべき点がかなりあるので、ここで改め て検討を加える必要がある。 1 SUDDHA C SAROPA=SADHYAVASANA SADHYAVASANAについて, karika および vrtti から, その明確な対立根拠が得られ ないという事である。では SUD [DH A] LAKESAN A] による転義は,SAR[OPA] LAK [SANA] や SADHEYAVASANA] LAK[SAN A] による転義とどう違うのか。 さて, SUD. LAK. との差異を考える前に, SAR. -SADH. LAK. による転義につ いて、今一度その性格を明らかにしておく必要がある。 SAR. LAK. による意味表出が行われるのは、本来まったく別の観念を表わす二つの 語が,文法上同格に置かれる場合である。ここで二つの観念の間に生じる矛盾を除去する ために,転義が起る。 ところで、二つの語のうちで一方は叙述のテーマを指摘するわけで あるから,これには転義は起らない。もう一つの語は、このテーマ対象を説明する語とし て置かれているわけであるから,その《本来の意味が何であろうとも、 ここでは、テ ーマ対象指摘語の表わす観念に適応する観念を表わさなくてはならない。したがって,二 つの観念間の矛盾は,<説明語>の転義によって除去される。 少年の勇猛さを誇張して, "sinho manavakah" (『少年はライオンだ』)と云う場合, 述語の“simha”に本来の意味>『ライオン』をそのまま適用したのでは,主語の表 わす観念『少年』との間に矛盾が生じる。そこで“simha" は、この文脈の中で、本来 の意味》とはちがった特殊な意味を表わしていることになる。 さてこのように、本来それぞれ別の観念を表わす二つの語が文法上同格に置かれる場合, 一方の語に転義が起るのは、SAR. LAK. という意味機能が発動するからである)。この 場合,転義の起る語の “本来の意味》 を visayin とし, この語に対して文脈が表示を 要求する観念を disaya として,SAR. LAK, という特殊な意味機能が説明される)。 Page #2 -------------------------------------------------------------------------- ________________ インド 学試論集 1 例えば“sinhomanavakah"という場合,述語“simha" は,そのく本来の意味》が 何であろうと,主語“manavaka"と文法上同格に置かれている以上,主語の表示する対 象と同じ対象を表示することを,文脈によって要求されている。したがって この場合, "sinha" という語にとって、文脈によって表示を要求されている対象 <少年> が visaya である。 ここでもし“simha" が, この文脈の要求だけに従って意味を表出するとしたら、この 場合のvisaya すなわち『少年』を,文脈的意味として表出することになろう。しかしな がら, "sinha" という語には、“慣習上の約束> (sanketa) によって,『ライオン』と いう意味が定められているのである。どんな場合にも samleta を全く無視した語用法は あり得ない。ではこの二つの要因(文脈の要求と samketa) は,一つの語“simha" の 中でどのように働き、その結果表出される意味はどのような構造をもつのか。 この場合,文脈によって表出を要求されている観念『少年』をく重置の対象》(āropavisava) とし,この上にに, samketa よって定められている意味 『ライオン』が, rvisayin として,「重ね置かれている」(aropyamana)とされる。 そこで "simha" という語の表わす意味は、二つの観念が重り合って、重複構造になっ ているわけである。この場合、聞き手は、“simha" という語から純粋な観念としての『少 年』あるいは『ライオン』を得るのではなく、この語を通して、 『少年』と『ライオン』との 二重写しの映像を見るのである。 次に意味機能 SADH. LAK. によって意味表示が行われる場合はどうか。SAR. LAK.. による場合は,同格併置される <テーマ対象指摘語〉の存在によって、く説明語>の転 義に対する文脈の要求が了解される。ところが少年を指して,単に“sinho 'yam"(T これ はライオンだ」)という場合,≪重置の対象》(aropa-visaya) は,語によって示されて いないわけである。しかしながらこの場合も,猛獣ではなく少年が話題になっている以上, simha"という語が猛獣ライオンを指しているのではないことに変りはない。“simha" は, この語が用いられる情況の中で、その意味表示に限定を受けているのである。 この く情 況> は,いわば広い意味での文脈であり,語の意味表示に対して,同様の支配力を有する。 この場合 visaya は,<情況> によって表示を要求されている観念であるといえよう。 しかしながら実際の文脈の中にvisaya は語でもって示されていないので,「visaya は visayin の中に,吸収され,かくされている(antah-krta) 33) とされるのである。 したがって,SAR. LAK. から区別して SADH. LAK. という別のカテゴリーをも うけた根拠は, visaya を指摘する語が文脈中に用いられていないということにすぎず, 問題の語の意味機能に関しては,両カテゴリーの間に本質的なちがいはない。 さて問題は、SUD. LAK. と SAR. -SADH. LAK. とのちがいということであるが, KP の karika および vrtti は,両者の差異について、直接には何も論じていない。そこ でまず, karika における upadana (<包合う) および Laksana (<指示>)の定義を、 SAR. -SADH.LAK. の定義と比較して,文脈の中で成立する特殊な意味が,≪本来の Page #3 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LAKSANAの機能対象LAKSYARTHA (11) (小林) 33 意味> とどういう関係を保っているかということに着目したい。 laksana とは、定義によると,「<本来の意味を放棄することによって,他の意 味 を成り立たせる場合である」)という。そうすると, "gaigayam ghosah”(『ガン ジス河にある牛飼部落』)という文脈の中にあって,“ganga” という語の文脈的意味「(ガ ンジス河の岸』には,もはやく本来の意味≫『(ガンジスの)流れ』は残存していないこ とになる。<牛飼部落> は, <岸> の上にのみにあって,<流れ> の上にあるはずはな い。 この場合,本来の意味> 『流れ』は,それからの連想のもとに,『岸』の <冷た t> <清浄さ>を<暗示>(uyaijand)によって示すにすぎず, "ganga" がここで 提供する論理的価値とは一応無関係ということになる。 ところが SAR.HS ADH. LAK. の場合,文脈が要求する観念である visaya が,語 で示されているにせよ,「吸収されている」にせよ、本来の意味> は, visayinとして, visaya の上に置かれた状態で(āropyamana) 保留される。少年を指して "sinho 'yam" という場合,<本来の意味≫『ライオン』を完全に放棄して,『少年』という意味を純粋な 観念として表示するのではない。『少年』という意味の中に,『ライオン』 という意味が 「吸収されて」,意味の重複体をなしているのである。 次に upidana とは,「他の意味を含ませて,新しい意味を実現することである 5) とい う。この場合,文脈の中で成立する意味は、本来の意味) に他の意味を附加して,量的 に拡大したものということになる。『油(一般)』を指して "taila" という場合6), laksana の場合とはちがって,“taila” という語は、文脈的意味を実現するために ≪本来の意 味≫『ゴマ油』を完全に放棄しているのではない。 この語が本来表わす対象 <ゴマ油> は、新しい表示対象 <油>の特殊例にすぎない。 したがって,<本来の意味> { ゴマ 油』)は,文脈的意味(『油』=『ゴマ油』+『カラシ油』 + etc.)の中に,保留されている わけである。また“kuntah pravisanti" における“kunta” の意味表示機能が upadana だとされているのは,この場合の文脈的意味『槍を持つ男』が,『槍』+『男』という形で, <本来の意味≫『槍』を量的に拡大したものだとされるからである)。 ところが SAR. =SADH. LAK. の方は、同じように ≪本来の意味が保留される といっても, upadana の場合のように,表示対象を量的に拡大する場合ではない。少年 を指して "sinho 'yam" という場合,“sinha" の文脈的意味は, 本来の意味>『ライ オン』に新しい意味『少年』を附加して、量的に拡張されたものではない。『ライオン』お よび『少年』という二つの意味が,それぞれ純粋な観念として同一の次元に並び,『ライオ ン』+『少年』(『ライオンと少年』, 『ライオンに乗った少年』)という形をとっているので はない。比喩手段としての対象と実際の叙述対象とは、全く別の次元に属するものであり, この二つの対象が、“simha" という一つの記号によって指示されているにすぎない。ヴァ ーヒーカ人が朗唱している様子を叙述して, "gauh pathati"という場合8), このことは 一そう明らかであろう。 さて Manikyacandra は, Mukulabhatta を引用してく聞き手の意識>に焦点をあ Page #4 -------------------------------------------------------------------------- ________________ インド学試論集1 て, SADH. LAK. と SUD. LAK. との差異を指摘している。 [SADH. LAK. と は,二つの意味が,それぞれ, ]≪重置の対象(aropa-visaya) と くその上に置かれ るもの(aropya visayin)との関係にあって,二つの意味の間に]差異が存在する場 合に、[その二つが]極めて近いものとして,その同一性が理解される場合である」とい い,さらに「SADH. LAK. の場合は,まず差異の理解があり,その後で同一性が理解さ れる」10)という。このように、意味機能 SADH.LAK. が発効して意味表示が行われる 場合は、二つの意味を, visayin および visaya として明確に区別した上で,同一の記号 (語) を通して,重り合った観念としてとらえるという操作が,聞き手の意識の中で行わ れるのである。 これに反して,「[SUD. LAK. に属する] upadana の場合は, という「対立」関係が存在せず,同一性が本来的に (mula-tas) 理解さ れる」11)という。 SADH.LAK.の場合は、差異の理解を前提として,同一性はその後 で理解されるが,upadana の場合は, この同一性が,本来的に直接に理解されるのであ る。そこで、「これら二つの場合 (kuntah pravisanti" と "gaigayam ghosah") にお いては,āropya visayin と aropa-visaya との「対立」関係に対して,意識が働かな い」12)のである。 2 SUDDHA < suddha 第三章で示した KP karika の laksana 分類は,次のような図式で表わされる。 laksana (2.9) SUDDHA (2.10) SAROPA (2.11) SADHYAVASANA (2.11) upadana laksana gauni suddha gauni suddha (2.10) (2.12) (2.12) ここで一つの疑問が起こる。SUDDH A と suddha (すなわち, kar. 2.10 の suddha と kar. 1.12 の suddha) がそれぞれ別のカテゴリーを示すなら、なぜこのように同じ語 を用いて混乱を招くようなことをしたのか。この二つは、はたして全然別のカテゴリー を示すものなのか。少くともこの点に関するかぎり, Govindathakkura の注釈から,明 快な統一解釈が得られる。 ところで KP の vrtti は,第一類 SUD. LAK. の語義を説明して,「upacara を混 合していないから(upacaramisritatvat), Suddha (清浄)というのだ」13)としている。 そうすると SUD.LAK. は, upacara を排除することによって,自らのカテゴリー領域 を形成していることになる。 では SUD. LAK. に対立するカテゴリー とは何か。 Gov. はこのupacara を,く類似という関係に基づく語義発動> (sadrsy'-akhya Page #5 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LAKSANAの機能対象 LAKSYARTHA (11) (小林) 35 sambandhena pravrtti)と解し14), 2.10 suddha に対立するカテゴリー, を,gauni すなわち <類似関係に基づく laksana> とする15)。こ の解釈にとって非常に都合のよいことは、SAR.-SADH. の下位亜種として, 2.12 に おいて gauni と対立する suddha に, 2. 10 の suddha と同一の概念 (類似以外の 関係に基づく場合であること)を与え得るということである。これで,同一の術語が同一 のカテゴリーを示すという論述の原則に基づいて karika を理解することができよう。 Gov.の解釈による Laksana 分類を図式化すれば次の通りである。なお, laksana の 種類が六つだということは,karika に明記されているから、どうような解釈をとっても, 亜種の総数を変えることはできない。 そこで彼は、 後にも述べるように, upadana と laksana をそれぞれ saropa および sadhyavasana の二亜種に分けている10)。 laksana suddha (upacarenamisrita) gauni (upacara-misra) upadana laksana saropa sadhyavasana saropa sadhyavasana saropa sadhyavasana ところが一方では, この分類図式に従うと, vrtti の解釈のみに関しても,一つの矛盾 が生じる。 2.12 の vrtti には, suddha SAR. =S ADH. として,≪結果と原因の関係(karyakarata-sanbandha) に基づく場合の外に,五つの ≪関係(sanbandha) に基づく場 合があげられている。すなわち、 一“kva cit tadarthyad upacarah" (ある場合には, tadarthya (用途関係)に基づく upacara がある)――等。(40, 41頁参照) ここで tadarthya というのは,くあるものと,それの為に使用されるものとの関係> であり,たとえば,“indra" という語を,『インドラ礼拝用の柱』 という意味に用いる場 合である17)。したがって,ここで用いられている upacara という術語は,<類似以外の 関係>に基づく場合を示している。ところがGov. は, 2.10 vrtti の upacara を、<類 似関係に基づく場合> と規定したはずである。 したがって,彼のこの概念規定に従って 2.12 vrtti の upacara を解釈しようとすると,矛盾が生じる。 近代のサンスクリット注釈 Bilabodhini は, laksana 分類に関してGov. に従ってお り, 2.10 v. および 2.12 v. の upacara をそれぞれ異義用法だとして,問題の矛盾を解 決しようとする18)。Bb. はここで, upacara に極めて広い概念を与えているKamalakarabhatta や Prabha の著者の定義を引用している19)。 これに従うと, 2.12 v. の upacara は, laksanaの同義語にすぎず, 2.12v. の upacara のように限定された概念 を表わすのではなく,もっと広い概念 <転義法による意味表出> 一般を示すことになる。 このように解せば,二つの upacara の用例に関する Gov. の矛盾は,一応解決されるこ とになろう。 Page #6 -------------------------------------------------------------------------- ________________ インド学試論集I しかしながら, Gov. の注釈に関してさらに問題にしなければならない点がある。すなわ ち彼に従うと,たとえ vrtti そのものはうまく説明できるとしても, karika の論述組織 を非常に不自然に解釈することになり, karika と vrtti の間にある種の不一致を作るこ とになるからである。 第三章の冒頭で論じたように, karika 2.10 の SUD. LAK. に同格で対立するカテゴ リーとして,次の行 karika 2. 10 の先頭に示されているのは SAR. LAK. である。 karika に忠実であるかぎり, SUD. LAK.-SAR.LAK. の対立は疑い得ない。ところ が Gov. が karika 2.10 の SUD. LAK. に同格で対立させているのは,やっと四行後 の kirika 2.12 第三 pada に, SAR. -S ADH. LAK. の下位 亜種として示される gauniなのである。彼はkarikaに見られるSUD.LAK. SAR.=S ADH.LAK.の対 立を全く無視して, suddha-gauni という対立を最上位に置いている。その結果 saropa asadhyavasana の対立が下位に置かれる。しかもこれが, padana-laksana の領域に まで持ち込まれている20)。このようにupādana および laksana がそれぞれ saroba と sadhyavasana に分割されるということは, karika をどう解釈したところで導びき出せ るものではない。 もしそういうことになれば,karikā の教える各カテゴリーの定義がす べて存在理由を失ってしまうことになるだろう。 このような Gov. の解釈が, たとえ karika の図式に一致しないにしても,伝統的に このような解釈が行われていたことは無視できない。しかも Pradipa は代表的な KP 注 釈の一つであり,優れたものとされているのである。彼の解釈が,たとえ部分的には不合 理なところがあるにしても, gauni-suddha の対立でもって, laksana の全域を二分し ている点は注目すべきである。 こうすることによってのみ, suddhāという術語を, karika の中で統一的に理解することができるからである。 一方 karika が, SUD. LAK. SAR. -SADH. LAK.の対立を明確に示しており,各 カテゴリーの定義を比較すればその対立理由が得られ,さらに聞き手の意識に基づいてその 対 立根拠を教える Manikyacandra の古い注釈がある以上, SUD. LAK. -SAR. LAK. --SADH. LAK. の対立を否定することはできない。 けっきょく Suddha という術語で示されるカテゴリーは二つの面側を持っているのであ り, karika の分類図式は次のように理解することができる。 i) <類似以外の関係 > に基づく Suddhāには, upādanaおよび Laksanaの二つの 場合があり, この二つは, Manikyacandra の指摘する根拠に基づいて, saropasadhyavasana と対立する。 ii) この対立を図式化するにあたって, upad.lak. をまとめて示すために,この二つ を包括する suddha という術語をあてた。こうして, upad.mlak. Tsar. -sadh. 0*1Z, SUD. LAK. --SAR. LAK. --SADH. LAK. Thant. ili) しかしながら,<類似以外の関係> に基づく suddha の領域は, padana と laksana tilt ette, suddha saropa to suddha sadhyavasana te $ TET るものである。そこで後の部分の Suddha は,図式の上で, upadana と laksana Page #7 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LAKSANA の 機能対象 LAKSYARTHA (II) (小林) 37 (SUD.LAK.)から離れて, SUD. と対立する SAR. -SADH. の下位亜種になる。 SUDDHA-| SAR. =SADH. -- upadana saropa taksana sadhyavasana - suddha に - gauni - ...upacara-------->| このように解釈すれば,karika の図式をこわさずに, 2.10 suddha と 2.12 suddha と の一致する概念場を見い出すことができ, laksana 全域を二分する suddha-gauni の対 立が理解できる。さらに 2.10 v. と 2.12 v. の二つの upacara に同じ概念をあて統一 的に解釈することができよう。(次節参照) 3 karika=Samketa -- vrtti-Pradipa 107少くとも karika の解釈に関するかぎり,以上のような結論を得ることができる。そう すると、 すでに述べた Gov. の注釈 Pradipa は, karika の分類図式をまちがって解釈 2911821273 2Yet 5 Pd. lit SUD.LAK. --SAR.LAK. --SADH.LAK. の対立を全く無視しているからである。したがって,Pd. の図式解釈の出発点となってい る 2.10 v. upacara の概念規定そのものが誤りということになろう。なぜなら Pd. は, この upacara を「類似関係に基づく語義発動」と解し,これを排除するカテゴリー 2.10 suddha を,単に「類似以外の関係に基づく場合」としか規定していないからである。 では, もし Pd. の upacara 規定が誤りであるなら,第二節末に結論した karika 解 釈を正当化するために, 2.10 v. の.upacara をどう規定すればよいのか。 この解答は, Manikyacandra の注釈 Samketa に求めることができる。すなわち Sk. は, ["gaur vahikah" において,ある対象が他の対象に upa-carされる。しかしながら upadana と laksana の場合は,このようなことが起らない」21) と述べている。したがっ てSk. は upa-car- という語を用いて, 「二つの観念の重なり」を説明しているのであり, これは第一節で論じた「SUD.LAK-SAR.SADH.LAK. の対立根拠」と一致する。 さてすでに述べたように, Sk. は <聞き手の意識 > に焦点をあてて SUD.LAK. と SADH. LAK..の差異を論じているが,ここの議論は Mukulabhatta からの引用に基づ いている。 ところで九世紀の学者 Mukulabhatta は, laksana の分類に関して,次のように述べ ている。 suddhopacara-misratval laksana dvi-vidha mata 1/2// upadanal laksanac ca suddha sa dvi-vidhodita / aropadhyavasanabhyam suddha-gaunopacarayoh 7/4// Page #8 -------------------------------------------------------------------------- ________________ インド 学試論集I pratyekam bhidyamanatvad upacaras catur-vidhah / -Abhidhavsttimatrika--22) 一行目から, laksana は suddha と upacara-misraの二つに分けられる。二行目から, suddha は upadana と laksana の二つの下位亜種を有する。三行目および四行目から, upacara は、二つの下位亜種 Suddhopacara と gaundpacara がそれぞれ aropa およ び adhyavasanaに分けられるから、合計四つの亜種を有することになる。 したがって次のように図式化される。 laksana suddha upacara-misra upadana laksana suddhopacara gaunopacara aropa adhyavasana aropa adhyavasana KP karika の laksana 分類は,これをはとんどそのまま受けついだものであり, Samketa も同じ線にそって wpacara という術語を理解している。 この点に関して, Mukulabhatta-KP karika-Samketa という一つの系列が見られる。この立場は、 laksand を分類するにあたって,<文脈的意味の構造>,すなわち文脈的意味が重複構造 をとっているかどうかという事を最も重要な分類基準とし、く本来の意味との結びつき> は、二次的な基準としか考えない。 他方 Pd. は, upacara を「類似関係に基づく語義発動」とし, laksana 分類において <本来の意味との結びつき)を最も重視し, gauni-suddha の対立を最上位に置いてい る。この立場は、上に見た系列から明らかに離れている。なぜこのような立場がでてきた のか。これを考えるためには, Suddha laksana をめぐる KP vrtti の論述を今一度検討 しなければならない。 vitti ad 2.10 ld, suddha laksana to "upacarenamisritatvat" Z TELTER TO, ように論じている一「“ganga" という語によって,「岸』という意味が表わされるとき, [岸が]それ(流れ)と同じものであると理解される場合にのみ,話者の云わんとするく意 図》が理解されるのだ。その岸が単に(ガンジスの)流れと隣接していると理解されるだ けなら、いったい laksana は, "ganga-tate ghosah" という本来的な語の意味表示とど う違うのか」23)―。このように, upadana および laksana の場合も, 本来の意味> (『流れ』)と文脈的意味 (『岸』) とが同じものとして理解され, 両者の問に ≪隔離性≫ (tatasthya) は存在しないと主張する24)。 しかしながらこの議論は, abhidha の場合と比較して laksand 機能の一般的性格を説 き,それを下位亜種 upadana および laksana の場合にあてはめて論じたものにすぎな い。saropa=sadhyavasana との差異を念頭に入れて, upadana=laksana の特殊な性 格を論じたものではない。ここでわざわざこのような議論を持ち出したのは,他の学者の Page #9 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LARSANA の機能対象 LAKS YARTHA (II) (小林) 39 見解に反論するためにすぎないのである。 ところで、この他の学者とは、外ならぬ Mukulabhatta なのである。しかも、反論す る側の KP vrtti が laksana の一般的機能を敷衍するため suddha にふれているのに対 し、この反論の直接の対象となる Mukulabhatta の論議は,まさに他の laksana カテゴ リーとの差異を論ずるために, suddha の機能を規定したものなのである。 一「“gaur vahikah" においては、く類似という結びつき>によって, takyartha と laksyartha の間の同一性 (abheda)が理解される。 ところが Suddha の場合は, vacyartha と laksyarthaの間に差異(bheda)が理解される一 . すなわち Mukulabhatta は,「suddha laksana とは二つの意味 (mukhyartha とlaksyarthaと)がく離れている場合>(tatasthe) である」27)という。特定の文脈の中 で,『流れ』が『岸』に、あるいは『槍』が『男』に転義されるとしても,二つが同じものだ とは意識されず,『岸』『男』はやはり『流れ』『槍』とは違ったものとして理解される。 ところが KP vrtti は, [upidana と laksana において,このような ≪隔離性多 は 存在しない」という。 この二つの議論の差異はどこに原因があるのか。 基本的には,≪隔離性>という概念 を用いる際の態度が,両者の間で全く異っているのである。Mukulabhatta が,文脈的意 味の論理的価値のみに着目しているのに対し、KPv. は,その文体的価値に着目している。 Mukulabhatta は,≪本来の意味とは違った論理的価値をもつものとして, laksyartha を見ている。“ganga” および“kunta” の laksyartha 『ガンジス河の岸』および『槍を 持つ男』は, それぞれの本来の意味>『ガンジスの流れ』, 『槍』から, 論理的には独 立した純粋な観念である。Mukulabhatta は, mukhyarthat laksyartha との論理的 価値の差を指摘するために, tatasthya という語を用いたのである。一方 KPV.の指摘 せんとしているのは, laksyartha が理解される場合,文脈の中で定められる 論理的価値 の外に特殊なニュアンスが理解されるということ, laksyartha には特殊な文体価値があ るということである。すなわち KPv. によれば, 「mukhyarthaから隔離したものとし て laksyartha を理解したなら,話者の云わんとする <意図》(prayojana) が理解さ れない」という。 特定の文脈の中で“ganga" の意味を『ガンジス河の岸』として理解す る場合,それを単に《本来の意味から隔離した論理的価値としてのみ理解するなら, "ganga-tata" という語を理解するのと同じことになる。 論理的価値の外に,<冷たさ> <清浄さ> というニュアンスの理解がともなってはじめて,話者の意図≫ が実現され るのである。このようなニュアンスは本来の意味からの連想によって得られる。し たがって,文体的価値という点において, laksyartha は mukhyartha から断絶したも のではないことになる。 この立場に立って KP v. は, upadana および Laksana におけ る tatasthya を否定したのである。 karika の分類は、ほとんどそのまま Makulabhatta に従っているにもかかわらず, vrtti はここで、わざわざ異った見地に立って, Mukulabhatta を否定する姿勢をとって いる。 Page #10 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 40 インド 学試論集1 ここでvrtti の意図するところが何であろうと、結果的には, suddha における ≪隔離 性> が否定されることになり,<意味構造の重複性有無> に基づくカテゴリー区分に 関心が向けられなくなる。 それに代って,<本来の意味との結びつき> という分類基準 が最も重んじられ, Suddha-gauni の対立を最高位に置く Pd. の図式が可能になる。 ちなみに、問題の vrtti を引用すれば、次の通りである。 [upadanas ca laksanas ca, ) ubhaya-rupa ceyam suddha, upacaramisritatvat. anayor bhedayor laksyasya laksakasya (=vacyasya) ca na bheda-rupam tatasthyam.29) ここでvrttiが,意識的に, karikāとは違った見地から,分類図式を打ち立てようとし ているとは断定できないだろう。vrtti が, upadana および laksana における tatasthya を否定したのは、ここで laksana の一般的性格を確認したにすぎないと云えよう。 Mukulabhatta の主張する upid%3Dlak.sar.ssadh.間の差別根拠を,直接に否定した のではないのであろう。しかしながら,少くとも,この vrtti は,後代注釈者の関心を, suddha-saropa の対立からそらさせる要因 となっている。 たとえば Pd. は, "na bheda-rupam tatasthyam" という vrtti を注釈するにあたって, laksana の一般的性 格の確認という立場から全く逸脱して, suddha-saropaの差別根拠そのものを否定するに 至っているのである。すなわち,「saropaには abheda が理解され, suddha には bheda のみが理解される」という見解は誤りだとしている30) . したがってこのことから当然,, suddhalaksanaに対立するupacara-misralaksanaを、と解することになり,さらに upacara を,「類似関係に基づく語義発動」と規定することになるのである。 そしてここ に, karika の分類図式とはかなり異なる図式ができあがるのである。 4 類似以外の関係に基づくlaksana(附) 以上論じたことから明らかなように, KP karika の図式において第二類および第三類 の下位亜種とされている suddha SAR. =SADH.LAK. は,一方では SUD. LAK. に 対立する SAR. -SADH.LAK. に包括され,他方では upad.=lak. と共に,一つのカ テゴリー <類似以外の関係に基づくlaksana> を形成して, gauni laksana と対立する。 第三章でこのカテゴリーを論じたときは, ≪原因結果の関係≫(harya-karana-sanbandha) のみをあげたのであるが,KPv. はその外に、次のような四つの sambandhaを 教えている。 a) tadarthya (用途関係) ""indra" という語が,『インドラ礼拝用の柱』(indrartha sthund)という意味に用い られることがある31)。 『インドラ神』 - 『インドラ礼拝用の柱』 <話者の意図>:礼拝用の柱も, インドラ神そのものと同じように崇敬さるべき てと。 Page #11 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LAKSANA DHE NE MJM LAKSYARTHA (11) (131**) 141 用例――くインドラ礼拝用>の柱を指して, "ami indrah" (『あれらはインドラだ)と いう場合32)。 b) sva-suami-bhava (主人と被使用人との関係) "rajan" という語が『王の家来』(rajakiya purusa)を表わすことがある33)。 『王』 →『王の家来』 . ≪話者の意図:家臣の命令も,王の命令と同じく, 犯すべからざるものであるこ (rajavad-alanghya-sasanatva). 用例——王の家臣が歩いているのを見て、“rāja 'sau gacchati" 『あの王様が行く』 という場合4)。 c) avayavavayavi-bhava (部分と全体との関係) "agra-hasta"という合成語が, tatpurusa ではなく, karmadharaya に用いられ ることがあるが(先端なる hasta), この場合,本来は『ヒジから指先まで』を表わす "hasta" がその先端部のみを表わしている35)。 『手(ヒジから先)』 →『手さき』 ≪話者の意図>: hasta の先端部分も, hasta 全体と同じように強力なこと。 用例——手の先端部分のみを指して, "hasto 'yam" (これは手だ) という場合36)。 d) tatkarmya (仕事の同一性) 大工カーストの生れでない者,たとえばバラモンでも,森で仕事をするゆえに, "taksan" (大工)と呼ばれることがある37)。 『大工」 - 大工仕事をする大工カースト以外の人」 ≪話者の意図> 大工カーストに属さなにもかかわらず,大工の技術に熟達してい ること。 用例——バラモンを指して,“taksa 'sau”『あの人は大工だ』)という場合38)。 以上四章にわたり, laksand について論じた。これを KP でいえば, 2.9 から 2.12 にいたる四つの karika を検討したことになる。laksana に関して次に問題にすべきは, prayojana の意味機能ということである。特定の文脈の中で, "ganga" が『ガンジス河 の岸』という文脈的意味を表出する場合,論理的価値の外に,<冷たさ> <清浄さ> と いった特殊なニュアンスが表われる。これは,語のいかなる機能によるものか。このこと はkarika 2.13 以下で扱われているのであるが39), 語の第三の意味機能《暗示機能> (uyaijand, dhvani) の問題であるので40), 一応本稿から切り離し, dhvani 論の一部と して別に論じる。 また, laksana による表現は、特殊な表現効果を意図する技巧表現であるが,意味機能 としての laksana は、修辞学本来の対象である <詩的技巧>としての alankara と, どういう関係にあるのか。この問題についても,稿を改めて論じたい。(完) 1) KP 2.11 : saropa 'nya tu yatroktau visayi visayas tatha, Page #12 -------------------------------------------------------------------------- ________________ インド学試論集1 vrtti ad ibid.: yatra samanadhikaranyena nirdisyete, sa laksana saropa. 前号 15頁参照。なお同頁20, 21行で, visayin を「転義の主体」、visaya を「転義の対 象」と訳したが,これは不正確であるので取り消す。この二つ術語は metaphore にお ける意味の二重構造を説明するために,重複的意味を構成する二つの要素(その語が本 来指示すべき対象と,文脈の中で当然指示さるべき対象と)を示すものにすぎず,「主体 と対象」というような関係を示すものではない。 2) Bb. ad ibid.: saropeti aropena saha vartata iti saropety arthah, 'visaya visayinor bhedenopanyaso 'tr' aropa-padarthah' iti Pradipa-karah. (p. 47, 1.32 ff.) 3) KP 2.11 : visayy-antah-kste 'nyasmin sa syat sadhyavasanika. Si #p. 215 . 4) KP 2.10 :pararthamsva-samarpanam...laksanam... 前号 p.14. 参照。 . 5) KP ibid. : sva-siddhaye par'-aksepah. .. upadanam...; U$ p. 14, 1. 33ff. DR. 6) SDv.ad 2.10, p. 10, 1.20 ; 前号 p. 14, 1. 13 ff. 参照。 7) KP v. ad 2.10 : ...kuntabhir...sva-samyoginah purusa aksipyante, 8) Bb. ad KP 2.11 : evam 'gauh pathati' 'gam pathaya' ity-ady apy udaharanam uhyam. (p. 49, J. 9) 9) Sk. ad KP 2.10 : Mukulasyapy ado 'numatam. atrocyate. yatr' aropa -visayabhavataya atyant-asannatvena bhede saty abhedas tatra sadhyavasanata. (p. 19, 1. 28 ff.). 10) ibid. : purvatra (=sadhyavasanayam) tu purvam bheda-pratitih pascad abheba-pratipattih. (p.20.1.7) 11) ibid. : yatra tv aropy'-aropa-visaya-bhavam vina mulata evabheda-pratitis tatropadanena laksana. (p. 19, 1. 30) 12) ibid.: anayor udaharanayor aropy'-aropa-bhavas prati cittam eva na dhavatity atra sacetasah pramanam. (p. 20, l. 8) 13) KP v. ad 2.10: ... iyam suddha, upacarenamisritatvat. 14) Pd. ad ibid. : upacaras ca sadnsya-sambandhena pravsttih. (p. 43, 1. 13) 15) ibid. : upacara-mitra hi gaunity ucyate. (p. 43, 1. 13) 16) ibid.: upadana-laksana laksana-laksana ca. te api pratyekam saropa sadhyavasana ceti dvi-vidhe iti suddha- bhebas catvarah. (p. 39, 1. 11 ff.) 17) KP v. ad 2.12 : kva cit tadarthyad upacarah, yathendrartha sthunendrah. 18) upacara の術語概念は,修辞学史の中で,非常に浮動しており,各修辞学者の間で, その概念規定がかなり違っている。この問題について Poona Orientalist 第一号に論 文があるというが,雑誌が入手できないため、未見である。 H. D. Sharma: "The meaning of the word upacara according to Gotama and the rhetoricians", PO I. 1, Apr. '36, pp.26-33. 19) Bb.ad ibid.: upacaro laksaneti Kamalakarabhattah, upacaro laksanaya Page #13 -------------------------------------------------------------------------- ________________ LAKSANA ORE K LAKSYARTHA (II) (#) 43 samanadhikaranyena prayoga iti Prabha-kstah. (p. 53. 1. 15) 20) Pd. ad KPv. 2.10 : te (=upadanas ca laksanas ca) api pratyekam saropa sadhyavasana ca, (p. 39. 1. 12) 21) Sk. ad ibid.: yatha (gaur vahikah ity atra vastv-antare vastv-antaram upacaryate, na tatha atra (=upadane ca laksane ca). 22) Abhio Mao ed. NSP, 1916; COA, Sharma's Notes on KP, p. 8512 SIN. 23) KP v. ad 2.10 : tatadinam gangadi-sabda ih pratipadane. tattya-pratipattau hi pratipipadayisita-prayojana-sampratyayah. ganga-sambandha-matra-prati tau tu, 'ganga -tate ghosah' ity mukhya-sabdabhidhanal laksanayah ko bhedah? 24) ibid.: anayor bhedayor laksyasya (ca) laksakasya (=vacyasya) ca na bheda rupam tatasthyam. 25) Bb. p. 46, : 'na bheba-rupam tatasthyam' iti vacanena Mukulabhatta matam dusitam iti Visvaratha-kste Kavyaprakasadarpane spastam. 26) Pd. ad ibid. : 'gaur vahikah' 'gaur ayam' ity-adau, bhede 'pi sakya-laksyayor abhedah pratiyate. na tu 'gangayam ghosah' ity-adau, tatra bheda-matrapratiter iti. (p. 43. 1. 16 p. 44. 1.6) CO O ER 21, Pd. It u it 61881975, 5 bare en la Mukulabhatta 01 tl bo cf. tatasthe laksana suddha, syad aropas tv adurage / nigirne 'dhyavasanam tu, rudhi-asannataratyatah // (Abhio Mao, ed. NSP, p. 9.) 27) Abhio Mao p. 9: tatasthe laksana suddha, 28). #24) ti. 29) KP v. ad 2.10. 30) Pd. ad ibid. : ...ity-adau ( saropayam ca adhyavasanayam )... abhedah pratiyate, na tu [suddhe], tatra bheda-matra-pratiter iti... tad... asat. 31) KPv. ad 2.12 : kya cit tadarthyad upacarah, yathendrartha sthusendrah. 32) SD v. ad 2.9: indrarthasu sthunasu 'ami indrah' (P.10, 1.11) 33) KP v. ad 2.12 : kva cit sya-svami-bhavat, yatha rajakiyah puruso, raja. 34) SD v. ad 2.9: rajakiye puruse gacchati, 'raja 'sau gacchati' iti. (P.10) 35) KPv. ad 2.12: kva cid avayavayayavi-bhavat, yatha 'agra-hasta ity atragra matre 'vayave hastah. cf. Pd. ad ibid.: karmadharaye 'agra-hasta iti.... 36) SD v. ad 2.9: yatha va-agra-matre 'vayave, 'hasto 'yam'. (P.10, 1.11) 37) KP v. ad 2. 12: kva cit tatkarmyat, yatha 'taksa taksa. 38) SD v. ad 2.9: brahmane 'pi 'taksa 'sau'. (P.10, 1.12) 39) COME, KP karika 2. 13 6 5 2.18 1228*20 karika #. 40) Co vyanjana lt, laksana pit %< BIN LC 3 DIT 3 605, laksanamala vyanjana ?Flin, KP ullasa 3,4 12 to 112 11 METSA RIC I think it an abhidha-mula vyanjana *1520T. Page #14 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 展 望·彙報 戦後インド学の主要労作 (2) 文学史インド文学史の紋述に文芸美の探究が全く問題外であるというのでは ないが,世界の学界がこの点で先ず要望するのは、あらゆる時代と様式とにわたる既知の 原典に対し,適確な内容紹介と位置づけと,そして従来の研究における問題点の明示とを 与え,且つ主要な校本・訳書・研究業績の註記によって、何れの分野の専攻者にも信椅す べきビブリオグラフィーを提供することであろう。さてこの様な意味での標準的な文学史 が過去にあったとすれば,それは第一に A. Weber: Vorlesungen uber, indische Literaturgeschichte (1852 : 第二版 1875に基く英訳 History of Indian Literature, 1878) であり,次いで以後の研究の発展と文献の増加に応じて,前者に代ることとなった M. Winternitz: Geschichte der indischen Literatur ('04-22 : 略記 GIL) 三巻であ ること申すまでもない。インド文献学の夫々の歴史的段階を代表するものとして,これら 両著は一少くも上記の見地からは他のどの文学史とも同一の平面におかれ得ぬもの であろう。 周知の様に GIL は、程なくインドで英訳され カルカッタ大学から出版されることとな. ったが,この際 Winternitz は自身で訳業の監修に当った外,主として'22 年以後の文献 増加に基く所要の補訂を,この英語版で果そうと努めた。かくて著者の意図は第一・二巻 に関する限りは達成され,History of Indian Literature (tr. S. Ketkar, I'27, I '33: 略記 HIL) として現れたのであるが,インド内での研究業績が特に多い部門を覆う第三 巻については,英訳増訂版は遂に形をとることなくWinternitz の死 (33)に及んだ。 その後,監修の地位に適任の後継者を得がたく、且つ西欧学界との連絡も失われて, カル カッタ大学は第三巻の英訳を放棄し,寧ろインド人学者の執筆によって事実上この巻を更 新するが如き、二冊の新文学史を計画することとなった。 ての事業の主宰は高名な哲学者 S.N. Dasgupta の手に委ねられ、その第一冊として kavya と alankara を併せ扱う 700 頁の大冊, Dasgupta =De: History of Skt. Lit., Classical Period, Vol. I* ('47) [IHQ 48 Upadhye; JRAS 49 Burrow; JAOS 752 Emeneau] の形で出版された。然しその出来ばえは遠く期待を裏切るものであり, イ ンド内にてさえ世評は余り芳しくなかったかと思われる。この巻における二人の執筆者の 「共著」の性質自体が先ず問題で,いわば総論の担当者たる Dasgupta と各論の担当者 S. K. De との間には、文学史紋述の態度からして対蹠的な差があるばかりでなく,前者 が別に Editor's Notes として相当の紙幅を加えた結果は,個々の研究上の争点に触れて が全く相反する見解を表明する例さえ少なくない。例えば前者が採る BhasaKalidasa (前1世紀) GAsvaghosa の図式に対し,後者は Asvaghosa-BhasaKalidasa (後4世紀)の如く。文学鑑賞に属する記述が豊富なのは、インド人学者にして Page #15 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 展望・彙報 初めて可能な貢献と歓迎し得ようが, Dasgupta の文学論は余りにも独自の抽象的思弁の 色が濃く、作者・作品の年代決定に関しては(彼の哲学史の大著についても時に指摘され る) 意識の薄弱と主観的独断の弊を免かれない。Winternitz に洩れたインド側の材料と 20年代以降の新資料を知らせる点では貴重であるが、反面 GIL の書誌的側面を再録する 点では杜撰と云わざるを得ず,殊に巻末索引の体裁は一見して異様なまでに不適当である。 上記の一冊だけでカルカッタ新文学史の企画は完全に頓挫した様で,その内でも好評を 博した S. K. De の執筆部分だけが,以後 History of Skt. Lit. (Prose, Poetry and Drama)として引続きカルカッタ大学から出版されている。同書は内容上、今日おそ らく最上の kavya 文学史であろうが, '47年の前著の一部を切離してそのまま重刷した ものであるため, index も付せられておらずでは利用に全く不便である。Skt. 文学の文芸 面で一特に History of Sanskrit Poetics の著者として一つとに令名高く,他方に ベンガル・ヴィシュヌ派の研究者としても聞える S. K. De 教授の労作は、この両三年し きりに再刊・新刊あいつぐ様であるが、幸いにその一つ Development of Skt. Lit. * ('60) が,過去に発表された論考の集録でなくて一貫した文学史であるとするならば,前 書の不便は多分に解消されるであろうか。但し(筆者未見であるが)察する所,この新著 はそれ程の大冊とは思われない。 この様にしてカルカッタの関する限り, GIL を更新する文学史の生れる見込みは、先 ず完全に消失したわけである。かえって同地で近年になって HIL の再版が見られ (Vol. I.pt.1: Intro.& Veda, '59), 更に思いがけなくGIL 第三巻の一部英訳 (tr. H. Kohn, HIL Vol. I fasc. 1: Ornate Poetry, * *58) が出はじめたことも,如上の経緯と無関係 でないかも知れぬ。(同じく第三巻の英訳且つ“brought up to date"たるものが,一時 Motilal 書店から予告されていたが,果して刊行されたのであろうか。特記された点につ いては,訳者 Subhadra Jha の他の訳業――Pischel, Prakrit-Grammatik一に徴して, むしろ疑わしく感ぜられる。) 勿論インドで出版される大小の文学史は数多く, V. Varadachari: History of Skt. Lit. * (256) [JA '57 Renou] の如く通史としてすぐ れたものもあるし, H. R. Aggarwal: Sanskrtasahityetihasa (2 pts, '51) なども Skt. で書かれた文学史という好奇心の対象に止まらず,内容は多少とも妥当且つ豊富であ るが,而も Keith や Macdonell の文学史の版が戦後もインドで重ねられるのは,これ ら西欧の先学の名著に対しなおインド人学徒の需要があることを物語るであろう。 然しな がら GIL 更新という desideratum に対処して,特に第三巻(古典 Skt. 文学の全域), 加えて第二巻の一部(ジャイナ文献)と第一巻の後半(飯事詩・プラーナ)の範囲では, その任に当り得べき権威者を多く擁するのは明らかにインドの学界である以上,新たに何 らかの計画がこの国で具体化されるのを望みたい。その時までに,重版を差当って特に希 望すべきは、古典 Skt. 文学の文献資料を展々マニュスクリプトにまで触れ最も豊富に提 供する, M. Krishnamacharya: History of Classical Skt. Lit. * (37)である。 所でその様な計画が起るとして、必ず中心に立つべきインドきっての碩学と、誰しもの 想倒するであろう恐らく第一の人 P.K. Gode 教授が,去る五月に急逝されたことは痛惜 Page #16 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 46 インド学試論集1 にたえない。同氏の Studies in Indian Literary History (3 vols., "53-56) [JA '55 56 Renou ; Adyar Lib. Bul. '55 K. K. Raja; JRAS P56 Burrow; '57 ZDMG Alsdorf, JAOS Sternbach] は, 表題から文学史そのものを想っては誤りであるが、氏の有名な年 代考証の論考450 編を集録して、文化史・文学史の何れの面にも貴重な新資料の虎大な宝 庫を形成する。論文の多くは著作年代の先後や同名人物の異同を考察し、またあらゆる種 類のインド習俗――様々な祭りの沿革や,煙草・茶・紙などの使用の歴史といったーを この文献にみり, 屋々未刊の写本からの引用・訳出るも含んでいて、久しくBORI の 司書として畏敬された氏の博学が余す所なく発揮されるのである。なお上記の書には, N. A. Gore, A. D. Pusalkar 両氏により行き届いた索引が作成されている。 一方、戦後に欧米で出たインド文学史としては、V. Pisani: Storia delle letterature antiche dell India* (55) [JRAS '57 Rylands] が殆んど唯一と云ってよいであろうか。 大きさからは Macdonell の文学史に当る程度であるが, Skt.文学に限らず近代諸語の文 学までを収め, Pali 及び Prakrit 文学史には特に詳しい由である。但し手頃な文学 manuel というには, 例えば Gita を込め全 Mahabharata を単一の著者の作とするな どやや個人的な見解が打ち出されすぎるきらいが指摘されている。 L. Renou: Litteratures de l'Inde (51) は 同じ範囲についてより限られた紙幅で一先般邦訳された Hindouisme (251) と同様 Que sais-je? 文庫―― 一般読者を対象とするが,また同時 に我々にとって必要最小限の知識を凝縮するものである。但し書誌的利便という点からは、 密ろ同じ著者の Litterature sanskrite (46) なる小冊子をあげたい。Veda と仏教とを 除き,戦争直前までに知られた重要作品はすべて,著者名によってと両様に辞書的に引け るわけで、簡潔な解説と評価と共に、ヨーロッパ語訳のある限りはその主なものを付記し ている。 校本・訳書の出版状況を知るためにだけでも、写本・蔵書のカタローグが常に極めて有 用である。 所で各国の主要なmanuscript co]lection には何れも大部な descriptive catalogue が刊行され,それらをすべて整備することは我々の資力を遙かに越える筈であ る以上,往年の Th. Aufrecht: Catalogus Catalogorum (1891-'03) 三巻に代るべき New Cat. Cat. が現われれば、我々に何よりの救いであろう。それが Winternitz, GIL の更新以上に大事業であること明らかであるが、幸いにも正にその人を得て,前回に触れ た如くマドラスの V. Raghavan 教授がこの仕事に当っている。ただ予定される十巻の内 既に出たのは a の項を覆う New Catalogus Catalogorum, Vol. I * (47) のみ,以来 十余年の経過を思うと進展に多少の不安なしとしない。この様にして,我々が原典出版の 有無を調べ得る事実上最新の便宜が,依然として戦前の M. B. Emeneau: Union List of Printed Indic Texts & Translations in American Libraries (AOS Vol. 7, '35) である現状は何としても遺憾であり, その意味で L'Inde classique 第三巻の刊行を前回 すでに要望したのであったが,今なおそのことを聞かない。併せて触れた Handbuch der Orientalistik のインド篇にも発展はない様であるが,別にStuttgart 刊行の Die Religionen der Menschheit 叢書の第一部がDie Religionen Indiens と題し,その Page #17 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 展望・彙報 第一巻として J. Gonda 教授がVeda u. alterer Hinduismus* (60) を執筆,文献的 に詳細な資料を示される由である。 果して然らば, A. Bareau その他の筆者に成る第二 巻 Buddhismus, Jainismus, jungerer Hinduismus u. Primitive* (61) と共に,文学 史の定本の欠如をかなりに補ってくれるかと期待し得よう。 辞 書 当時知られた限りの Skt. 文献に見える,語の用例のすべてを渉獵し つくした二種のペテルスブルグ辞書 -Bohtlingk=Roth: Sanskrit-Worterbuch (1852-75 :5記 PW) 七巻と O. Bohtlingk のみの Kirzere Fassung (1879-89 : 略記 pw)五巻一は一世紀を経た今日から見て愈々奇蹟の感を深くするばかりである。以 来しかし文献の増加は止ることを知らず,新テクストに初めて見出される語,及び用例を 確認される語義については(Bohtlingk 自身この点では,Pwによって PW の補足に 努めたものの), 最新の研究段階に即応する PW, pw 更新の要が時と共に愈々緊急の度を 加えるわけである。にも拘わらずこの要請に答えるものとしては,PW 第二版 (23-25) に続いて現われた R. Schmidt の Nachtrage (28) がただ一つあったのみで, それもそ の拠って立つ文献の幅からして既に限られた意味での補遺でしかなかった。 この点での desideratum を充足すべく, 所謂 Thesaurus Sanskrit の企劃が具体化 したのはまたインドにてであり,有力な一部西欧学者の助言と支援を得つつ,プーナの Deccan College 研究所がその実行に乗出したのである。先ず基礎作業として取上げら れたのは,Bohtlingk の触れ得なかった個々の土着辞書 (kosa) 語彙を整理することで あり,その成果は Sources of Indo-Aryan Lexicography* なる叢書の形で'47 年より 相次いで公けにされている。他方,各国の協力者が,夫々専攻方面のテクスト語彙につい て, Thesaurus の資料たるべきものを発表する機関誌 Vak が , '51 年に発刊を見た。 Thesaurus には約20巻の規模が見込まれ, '60 年までに第一巻を刊行する目標と当時耳 にしていたが,結局この目標は達成されず, それ所か上記の基礎作業に属する出版さえも、 紹介・書評の見られる度合 [JA '51 52 56 Renou, '53 Filliozat; JRAS 48 256 Burrow; BSOAS '54 Brough, '55 ?] から察するに,最近に到って寧ろ鈍化している 様である。事業の難航については色々と風聞もあるが,しかも Deccan College 以外に事 を担い得る機関は考え難く、数年前から Thesaurus の直接担当に転じたという同機関の 前所長, S.M. Katre 博士の命名にひたすら期待したい。(因みに Thesaurus は既知の Skt. 仏典すべての語彙を収める由であるが、この点について同研究所と我が国に多い専攻 者との間に、協力の依頼も連絡の事実も聞かみのは奇異であって, それだけからもこの事 業の進展に疑念が持たれるのである。) Thesaurus の急速な実現が見込薄なればこそであろうか, pw の写真版複製 (Graz, 759)に加えて,本年からニューヨーク で PW の再版が出はじめた様である。規模及び内 容からかいに平行するMonier-Williams, また基礎とするテクストの幅を限って学習 c *nt: Macdonell, Cappeller, Apte ("Student's"), Stchoupak=Nitti=Renou これら既成の辞書すべてについても同様で,戦後に現われた版は何れも従来のものそ のままの重版に外ならない。 但し M. Monier-Williams: Dictionary Engilsh and Page #18 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 48 インド学試論集I Sanskrit が'56年ベナレスで再版された [IIJ 59 de Jong] のは, この辞書がそもそ も類書の少ない内にも質的量的に絶対のもので,校訂の必要も可能性も感じられぬに加え, 1851年以来たえて重刷を見なかっただけに、殊に讃辞が寄せられて当然であろう。 著名の辞書で改訂増補を完了したものが唯一つある。P. K. Gode と C.G. Karve 両氏 を編集主任として成ったV.S. Apte's Practical Sanskrit-English Dictionary, revised & enlarged ed. ('57-'59) [JOAS '60 Sternbach] がそれであって,古典期文献からの 文例引用の豊富と訳語の適切とに従前とも定評のあった辞書が,大版三巻の新装で体裁・ 内容とも飛躍的に拡充された。増訂者の学的声望を裏切らず, Thesaurus に先んじて近 年の発見乃至開拓にかかる相当数の重要文献を覆い、更に第三巻末の附録には主要な地名 や作者名の一覧,名句金言集,殊に(パーニニ文法に基く語形の説明を略示するのが,従 前ともこの辞書の特色の一つであったが,それとは別に) K.V. Abhyankar による土着 文法術語の解説などが加えられて利用価値を一段と高めている。かくてこの三巻は, Post-Vedic, Epic, Classical Skt.の関する限りでは最高の辞書との評を, Thesaurus の 刊行を見ぬ以上かなりの期間に亘って博することであろう。 ただ今回の増訂版で解消され なかった難点としては,用例の確認される語義と区別して,土着辞書の与えるのみの語義 にその旨を特記していないことがある。この点,使用者側の注意が必要であろう。 辞書の形式で最も」期的な戦後の労作は,実は上記の如き 一般の辞書にはなく, '53 年 以来着々と進行中のM. Mayrhofer: Kurzgefasstes etymologisches Worterbuch des Altindischen, 昨年末ついに分冊刊行を迎えた待望の R. Turner : Comparative Dictionary of Indo-Aryan Language* 及び Emeneau=Burrow: Dravidian Etymological Dictionary.であること云うまでもない。但しこれらは、インド言語の史的研究 に属するものであるから、その方面に戦後数多い他の重要な労作と併せて次回に譲ること とする。 (大地原豊) はリヴァプール出身。先ずギリシャ文学の研究者として知 L. D. BARNETT られたが, ケンブリッジで Cowell の教えに接し、ドイ (1871-1960) ツ留学を了えた1899年からは,British Museum にあっ てインド 文献の整理に生涯を捧げた。Bendall のあとを受けたSupplementary Cat. (08) から,郊後に刊行されたPanjabi 語文献目録に到る、六種のカタロー グ完成は彼の不朽の功績である。この間ロンドン University College-SO(A)S を通じて講壇に立ち、後者では設立以来の講師、一時は司書として,特にインド史 の新進を育てた。博学と麗筆を兼備し, Wisdom of the East 叢書の数冊でイン ド 文化の諸面を紹介,また Antiquities of India (13) は周知の名著である。普那 教 Anga の二つを訳した The Antagada-dasao.... ('07), Grierson と共訳の 古 Kashmiri 文献 Lalla-Vakyani (20)の外,インド学の全域を覆う百余の論考 と五百に近い書評に執筆。書評の大半は Indica と題して JRAS に見られ、34年 にはこの王立アジア協会の副会長に推挙された。 Page #19 -------------------------------------------------------------------------- ________________ ヨーロッパにおける仏教研究の現況(覚書) このたび Jacques May 氏から寄稿を受け,本号の巻頭を飾ることとなったが, 関心を寄せられる向きも多いと思われるので以下にその訳文を掲げる。訳出に当 って文脈をかなり補ない,機関名・書名・人名は略記したので、適宜に原文と対照 されたく、注番号については6頁以下の御参照を乞う。 May氏は49年 ローザンヌ 大学(古典学専攻)を卒業後,51年までパリでインド学を履修,54年には論文資料蒐 集のためロンドンに赴き、54-55年フランス政府給費生として再びパリで古典・ 仏教中国語を学んだ。56年以降ローザンヌ大学司書,59年にはPrasannapada, 仏訳を刊行,59-60年ロンドンを再訪して日本語を習い、60年上記の著作に対し ローザンヌ大学から文学博士号を受けた。本年スイス国立学術財団研究員の資格で 来日,5月から本学大学院研修員として仏教学教室に所属する。 編集委員から光栄にも寄稿を依頼され,感謝にたえないが,省りみればその責を果し得 そうにも思われない。以下の覚え書きも、完全に網羅的であるとは云い難いであろう。な ぜなら筆者自身、自らの研究分野からかなり離れた司書関係の職務に忙殺され、この両三 年の間,ヨーロッパの仏教学者たちと、やや交渉を欠くようになったからである。 スカンザナヴィアからは、近頃あまり消息がない。 ス エーデン: パーリ語土着文典 Saddaniti の刊行は、二十五年来,この仕事に当 って来られた編者 H. Smith 教授の逝去(56) 後も,ひきつづき行われている。1) Smith 教授の門下生 N. Simonsson 氏は,ウプサラ大学に重要な学位論文を提出した。 同氏はこの論文で,法華経および金光明経の諸伝本を分析して,チベット訳経者の訳出方 法を検討している。2) この論文は,連続する研究の第一篇にすぎず,著者は続篇の発表を 約束している。 デンマーク:ーコペンハーゲンでは, E. Haark氏が,チベット蔵経成立史に関する 年来の研究を推進している。この研究は,すでに、54年ケンブリッジで開かれた国際東洋 学会議で,その一部が発表された。この複雑な問題に関して,同氏はおそらく、ヨーロッ パ第一の権威者であろう。Critical Pali Dictionary の刊行は、48年以来中絶していた が、60年から再開された。3) イギリス には チベット学の逸材 D. Snellgrove 氏がいて,現在ロンドン大学「東・阿 研究学院」(SOAS) の講師である。Snellgrove 氏はチベット語の専門家で,優れたサン スクリット学者でもあり、卓抜・迅速かつ堅実な仕事をする人だが、Hevairatantraの みごとな校本を世に問うた。) ネパール高地峡谷は、周知のように、宗教的にも言語的に もチベットの延長であるが,同氏はここを踏査して,同地域における仏教の現況に関し新 しい参考資料を集めている。5) 6) Page #20 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 50 インド学試論集II J. Brough 氏は、ロンドン大学のサンスクリット教授,SOAS インド・パキスタン・ セイロン学科主任であるが,最近,豊富な注釈をつけて, サンスクリット本「法句経』の校 本を刊行された。) E. Conze 氏は英仏海峡沿いのDorset に引籠り, 諸般若経典の研究を、困難な条件 のもとで続けておられるが,しかもなお近年,専門家向けの三著作を公けにされた。著書 Prajaparamita Literature は、般若文献成立の年代と発展の歴史に関する氏の三十年 に及ぶ研究を集約したものである。) 他の二労作は訳業である。 著者は訳出にあたり, 躇なく原文を故意に削除しているが,これは当該原文が,幾度となく反覆され,しかも同 氏が誰よりもよく通暁しておられる方面の文献だからである。『八千頃般若』の翻訳は、 簡潔でしかも詩的であり、学術的価値の外に、疑問の余地なき文学的価値をも見せ,特に 巻末の常密菩薩求法行の挿話などがそうである。)もう一つの訳書は, Large Satra とい う表題にしてはかなり奇妙な構想であって,主としては二千五百頃般若に基づきつつ,し かもまた十万頌般若と一万八千頌般若にも拠っている。これらの三本は非常に同質的なも のであるから,このような混成もおそらく差し支えないのであろうが。10) R. Robinson 氏は, トロント(カナダ)の出身で, SOAS インド哲学助教授 D. Friedman氏の指導を受け, ロンドン大学に注目すべき学位論文を提出した。これは,中 国中観派の代表的哲学者,僧聲の思想を主題としている。学位審査の際はタイブ刷りの形 だったが,現在印刷中で,近日公刊の予定である。11) なお,これに先立つ論文の一つが,. ハワイ大学の雑誌 Philosophy East and Westに発表された。12) Robinson 氏は,個性 および Nagarjuna (竜樹)の論理を精細に研究し,記号論理学を駆使する一方, また神 遺として,数多くの文献を訳出している。同氏は現在,米国ウィスコンシン大学の教職に ある。 Pali Text Society は,律蔵,経蔵の校本・訳本をたえず再版しているが、これに反し 論蔵の方は,停頓のままである。 同協会はその外に、Concordance to the Pali Canon を刊行中で, 52 年から57 年まで最初の十分冊が順調に出たが, 以後 しばらく中断の様子 である。13) 既にお判りのように,英国における仏教研究の中心はロンドンにあってオックスフォー ドやケンブリッジにあるのではない。ケンブリッジの Shackleton Bailey 教授は、仏教 文献学から次第に遠ざかり,それだけラテン文学の方に打ち込んでおられる。 Conze 氏 だけが、ロンドンから少し離れて、地方で仏教研究に従事している訳だが,同氏も去年ま では首都に住んでおられたのである。 SOAS 図書館は、仏教学,さらに東洋学全般について,ヨーロッパ随一である。蔵書が 同学院の建物のあちこちに散在しているきらいがあるとはいえ,それははかえって蔵書量 の豊富さを物語り, パリの図書館が都の四隅に点在している不便とは比較にならない。万 一同学院の図書で間に合わぬような場合には, India Office や British Museum の附 属図書館で補うことができる。 余談として申し添えれば,British Museum には東洋学 関係者のために実に快適な閲覧室がある。 最後に, SOAS 図書館では,図書の自宅借り Page #21 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 展望彙報 出しが無制限に許可されている。 オランダには同国東洋学の伝統が維持されていて、仏教研究の比重は今日でも高い。飛 躍的発展をたどるIIJ誌には、すでにこの方面の論文が数多く寄稿されている。また同誌 の集主幹, ライデン大学の de Jong 氏は 最近チベット仏教の聖者ミーラレーパの伝記 を出版した。14) E. Zurcher 氏は、中国における仏教の発展について,学位論文をユトレ ヒト大学に提出した。この大作は英語で書かれ、二巻にまとめて刊行されたが,中国仏教 史研究に一時期を画するものであろう。15) 西ドイツでは、大戦の動乱が終って学術機関の再編成が見られた。マールブルク大学は, ベルリンの諸図書館の疎開図書を引き継ぎ,それを中核として「西独図書館」の設立とな ったわけであるが,そこにはいくらか重要な東洋学関係資料が収められている。同じくマ ールブルクで, J. Nobel 教授が,『金光明経』関係のかねてからの研究を進めておられる。 ゲッティンゲンでは, E. Waldschmidt 教授が, 中央アジア出土のサンスクリット原典 の出版を続行される。 ハンブルクでは, L. Alsdorf 教授を中心に,一学派が形成されつ つあり,ボンでも P. Hacker 教授をめぐって同様の状況である。筆者がローザンヌ大学 司書であった時,ボン大学の学位論文二篇の写しが回付されるのを見たが,残念ながら著 者名・題名などを今正確に挙げかねる。一つはパーリ仏典における samkhara の語の意 義を論じたもので、他は1700年頃北京に来たチベットの高僧,章嘉第一世ガクワン・ロ プサン・チョェデンの生涯を述べたものであった。 オーストリアでは, E. Frauwallner 教授が,ほとんど単独でウィーンに活躍する。 『インド哲学史』16)の著を進めるとともに,教授御自身が創刊された WZKSO 誌17) を、 ほとんど一人で推進され、教授年来のDignaga (F形) 研究を総合する卓抜な論考も同誌 に掲載された。18) Frauwallner 教授の著作については,本誌前号に服部氏が委細を尽く し論評されたところである。 イタリア: G. Tucci 教授が設立された「中・遠東研究所」(ISMEO) は,チベット 学に関し現在ヨーロッパで最も重要な研究機関である。ここからは叢書 Serie Orientale Romaが刊行され、同叢書には、特に Conze 氏と Tucci 教授自身による仏教原典の校 本・飜訳が収められている。19) 20) 21) フランスでは, P. Demieville 教授が今や東洋学者間の長老であり、人格的にも学問的 にも,教授の権威は衆目の認めるところとなっている。教授が関心を寄せておられるのは 何よりも中国の神であるが、ちなみに教授が L'Inde classique に執筆された珠玉の名篇, 中国仏教総説をここで特記したい。これはまさに教授畢生の研鑽の結実である。 Bibliographie bouddhi que の編集を,事実上ひとりで果しておられるのが Marcelle Lalou反である。Demiéville 教授が珍らしくもただ一度, 教授平素の控え目な措辞を 一概して,「敏腕の低鑑,無比の厳密,献身と強靭の奇蹟なる Lalou 女史」という言葉を 先般JA誌上で女史に向けられたが、我々はこの献辞に無限の共感を覚えずにはいられない Page #22 -------------------------------------------------------------------------- ________________ インド学試論集1 (上の引用は筆者の記憶による)。実際、ヨーロッパ仏教学者の研究はすべて Bibliographie bouddhigue の恩恵にあずかっていると言ってよく、ことに同誌は,山口・長尾両教授の 御協力のおかげで,我々にとり日本の出版物を知る最上の手だてとなっている。 L'Inde classigue の中で、インド仏教に関する章を鮮かにまとめられたコレージュ・ ド・フランス教授 J. Filliozat氏は,ポンチシェリーの「フランス印度学研究所」を創 設し、また「フランス遠東学院」(EFEO) の所長に再任されて以来,学術行政の劇務に忙 殺され、他方また仏教研究からは遠ざかって、むしろタミール文化と南日の諸宗教の方面 に向われるようである。とはいえ、前記ポンプシェリー研究所の図書には仏教関係のもの ももちろん収められているし、さらにセイロンに近いことを思えば,同研究所はセイロン 仏教の研究にも一つの基地となり得ようか。事実, Filliozat, Demieville 同教授の門下 で現在パリの「高等学術研修学院」教官である A. Bareau氏は,ポンポシェリーから 発ってセイロンに赴き、同国仏教の組織を現地で調査したが、調査結果は『フランス度 学研究所叢書』に発表されたのである。2) Bareau 氏はさらに、中国資料による原始仏教 の研究を,従前どおり継続している。 Demi@ville 門下のJ. Gernet 氏は,現在ソルボンヌ教授であるが,学位論文の一つを 出版した。この書は,発見・参照・解釈ともに極めて困難な種類の一次資料に対する同氏 の稀に見る造罰の深さを物語っている。23) ただ仏教学にとって遺憾なことには,Gernet ', 氏は次第に中国社会の純経済学的研究に移りつつある。 名前ははなはだアングロサクソン的であるが, L. Silburn 女火もまた, パリ学派の一 員であって, L. Renou, P. Mus 両氏の門下,現在「高等学術研修学院」の教官である。 女史の学位論文は,すでに48年,審査を通過したのであるが, それがようやく 55 年にな って上梓された。24)この著作には,ブラーフマナ文献と原始仏教並びに後期仏教 (Dignaga とその一派) 思想との関連について、鋭い洞察が込められており, Mus 氏の一さ らに同氏を介してS. Levi の薫陶が看取される。実に密度の高い労作で,本稿の筆者 はスイスの学術誌 Etudes asiatigues に,この書について多少とも詳細にわたる紹介の稿 を草したが,近く掲載されるはずである。 フランス文化圏の諸国は、パリ学派に参劃寄与するところが多いが、特に大乗仏教の研 究の場合がそうである。 ベルギーには、ルーヴァン大学教授、教会参事会員 E. Lamotte 師があり, Poussin がガンに創始した偉大な学統を継いでおられる。出版進行中の教授の記念碑的二大作一 『大智度論』訳25)と『インド仏教史(26) に加えて Lamotte 師は現在,同師が「最も 美わしい大乗経典」と見なされる『維摩経』を訳出中で,この秋に出版の予定,あるいは チベット本の校本が添えられるかも知れない。 Lamotte 師はまた華厳経方面にも関心を 寄せられている。教授の若い門下生の一人 H. Durt 氏が現在京都におられるが,以上の 情報は同君に合うもので、ここにあわせて御礼申し上げたい。Durt氏は原始仏教を専攻, 先般の東方学会主催,国際東方学者会議で研究発表をされた。27) Page #23 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 展望・彙報 スイスでは, C. Regamey 氏の存在のおかげで,新しい局面ができつつある。 同氏の 家系は本来スイスの出であるが,一世紀以上前にロシアに移住し, その後ロシア革命でポ ーランドに移った。 というわけで Regamey 氏はポーランド育ちである。 J. Przyluski と S. Schayer の教えを受け,次いでワルシャワ大学教授に任ぜられたが,氏の経 歴は戦争によって中断された。ついにはロシアの進駐に直面してポーランドを去らざるを 得ず、故国スイスに難を避けられたのであるが、故国とはいえ所詮,氏にとって流離の地 に外ならなかった。当時スイスでは,東洋学研究が全般的に、極度に恵まれの状況にあっ たのである。伝統の火,貧困な図書館 (『験訳名義大集」や「大正大蔵経」など探して もあろう筈はない),不充分な資金というのも、大学を含めて公共教育がスイス連邦 政府の所管ではなく、学術研究を支えるには財政規模の余りに貧弱な小主権単位 canton (州)に屈するからである。しかしながら Regamey 教授を中心に,次第に一つの学派が 形作られてきている。教授門下の一人 P. Horsch 氏は、むしろ純インド学日の人である が,現在チューリッヒ大学の講師になっている。 この大学には数年前から中国語の講座が 置かれていて、その先例があるだけに,インド学講座の創設も楽に運びそうな見込みであ る。Regamey 氏のもう一人の門下生, V. Python 神父は,大宝積経の重要な一節,『優 波離会第二十四」の対訳校本を近く出すことになっている。同じく Regamey 門下の一人 として,本稿の筆者は Prasannapada の教章を訳出した。23) Regamey 教授自身, Lalou 女史と協力して, Karandavyaha (荘厳宝王経)のクリティカル・エディションを 準備中である。 近年になって、パリの「国立学術研究中央機関」(CNRS) に倣い,「スイス国立学術研 究財団」という機関が設立された。 スイスの大学の現行機構が全く時代後れであるという 認識が,特に医・理学部方面で一般となってきて,機構改革が不可欠とされるのであるが, 思いがけなくも東洋学が,あるいはその恩恵にあずかりそうな様子である。というのも筆 者自身の場合がそれで、すでに「国立財団」給費生の一人が初めて東洋に派遣され、彼の 研究者としての素養に仕上げをかけることとなったのである。 スイス来住後数年して, Regamey 教授は,ボーランドの東洋学会と接触を再開するこ とができた。その機縁となったのは、ポーランド東洋学の機関誌 Rocznik Orientalistycany の一巻を, S. Shayer 追悼号として特集する計画であった。Shayer の高弟である Regamey 教授が勿論これに参劃されぬ筈はなく、同誌第二十一巻の前記特集号に教授の 論考が見られよう。 東欧諸国は文化活動に大いに力をそそぎ、東洋学もその例にもれない。しかしこの場合 の力点は、宗教・哲学の研究よりも,むしろ言語学・考古学に置かれている。特にソ連邦 の場合がそうであって, Demieville 教授は,昨年モスクワで開かれた国際東洋学会議に 参加の機に中央アジアを訪れたが,同地域で行われているいくつかの重要な発掘を目のあ たりにされたとのことである。 (編集委員訳) Page #24 -------------------------------------------------------------------------- ________________ 会員消息 O昨年まで人文研所長を二期おつとめの塚本善隆教授は,本年2月8日 に定年御退官となったが,以来市教育委員、更に5月からは国立京都博物館長の要職に御 活躍である。○35年度予餞会, 2月25日,霞会館。荒牧典俊君(仏教)の修士課程終了,山 下隆夫・朝倉義寛 (印哲)・上岡弘二(梵文) 三君の学部卒業を祝う。羽溪・山口先生の長 老から、錦織寺の木辺氏など久々の御来会があり,近来の盛会であった。○服部正明・梶 山雄一の両氏が,3月1日付で夫々印哲・仏教講座の助教授に就任。○36年度に部外から御 来講を仰ぐ教官は,印哲に佐保田鶴治 (阪大), 仏教に野上俊静(谷大)・藤吉慈海(人文研), 林文に加賀谷寛・内田紀彦 (大外大)の各位である。O関係教官懇親会, 5月30日, 細川別 邸。足利教授の御配慮により、部内・部外の新任教官歓迎を兼ねて開催。○新入生歓迎会, 4月21日, 楽友会館。大学院博士課程(仏教 1),同修士課程 5(梵文1・印哲2・仏教 2), 学部3(印哲 2仏教1) 聴講生2。仏教修士入学の河村君はカナダ国籍。OHubert Durt (ベルギー)・Jacques May (スイス)両氏が相次いで来学,5月より大学院研修生として 長尾雅人教授のもとに仏教学を研究。 [49, 52頁参照) Oインド Visvabharati 大学講師 Venkata Ramanan氏が谷大の招聘により在洛の機を利して、5月下旬より二カ月間 Prasannapada 講読をお願いし,教官学生多数が参加した。 ○例会,6月10日, 楽友会館。 朝倉・上岡の両君が夫々『Naiskarmyasiddhi の Vedanta 思想 』・『Rgvedaにおける。 Yama」と題し報告。○長尾教授を代表者とする綜合研究『インド哲学史上における唯識思 想の位置』に対し、7月下旬に本年度文部省科学研究費交付の通知があった。○京大西南ア ジア研究会では,このたび伊藤義教先生が編集主幹となられ,32年創刊の機関誌『西南ア ジア研究』に飛躍的発展を見た。8月初めB5活版の新装で出た65頁の第6号には、伊藤 先生の二論考と上岡君の(前掲表題) 論文が含まれている。なお同誌は半年刊,印刷は本 誌と同様あぽろん社。○梶山助教授は英国文化振興会の留学生として渡英。7月28日に神 戸を発ち、既に次記に安着された- c/o Mrs. Oulagi, 179 Fordwych Road, London N. W.2。ロンドン大学 SOAS で一年間研究の予定。O工藤成樹(仏教・博士課程修了) 海恵宏樹 (同在学中)の両君は,ラングーンに新設の International Institute for Ad Buddhistic Studies に留学決定,9月29日羽田を発つ。○善波周先生は6月中 旬胆嚢壊疽で重態に陥られたが、手術後の経過きわめて好く休暇中に御全快,既に授業も お始めである。○松尾義海教授は今春より御健康すぐれず,7月以来加茂川病院にて療養 に専念される。近く外科手術に御決定の由であるが,余後順調に御全治へ向われることを 祈ってやまない。 編 集 後 記 はやりの物価倍増は創刊早々の本誌にピンチでしたが,この第2号と共 に八ヵ月毎の発行に見透しがつきました。月々の積立てに御協力の会員各位, 特別に寄付 をよせられた沢山元昭氏,寄稿を快諾された J. May氏,前回に続きお骨折頂いた伊藤武 夫氏に,夫々深く感謝します。会員消息欄を設けましたので,御変動あれば編集部まで お知らせ下さい。本年度編集委員は4月例会で決り,教官側から大地原・服部・祀山の三 助教授,学生側から小林と学会幹事の山下君,計5名であります。 (小林信彦)