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________________ LAKSANAの機能対象LAKSYARTHA (11) (小林) 33 意味> とどういう関係を保っているかということに着目したい。 laksana とは、定義によると,「<本来の意味を放棄することによって,他の意 味 を成り立たせる場合である」)という。そうすると, "gaigayam ghosah”(『ガン ジス河にある牛飼部落』)という文脈の中にあって,“ganga” という語の文脈的意味「(ガ ンジス河の岸』には,もはやく本来の意味≫『(ガンジスの)流れ』は残存していないこ とになる。<牛飼部落> は, <岸> の上にのみにあって,<流れ> の上にあるはずはな い。 この場合,本来の意味> 『流れ』は,それからの連想のもとに,『岸』の <冷た t> <清浄さ>を<暗示>(uyaijand)によって示すにすぎず, "ganga" がここで 提供する論理的価値とは一応無関係ということになる。 ところが SAR.HS ADH. LAK. の場合,文脈が要求する観念である visaya が,語 で示されているにせよ,「吸収されている」にせよ、本来の意味> は, visayinとして, visaya の上に置かれた状態で(āropyamana) 保留される。少年を指して "sinho 'yam" という場合,<本来の意味≫『ライオン』を完全に放棄して,『少年』という意味を純粋な 観念として表示するのではない。『少年』という意味の中に,『ライオン』 という意味が 「吸収されて」,意味の重複体をなしているのである。 次に upidana とは,「他の意味を含ませて,新しい意味を実現することである 5) とい う。この場合,文脈の中で成立する意味は、本来の意味) に他の意味を附加して,量的 に拡大したものということになる。『油(一般)』を指して "taila" という場合6), laksana の場合とはちがって,“taila” という語は、文脈的意味を実現するために ≪本来の意 味≫『ゴマ油』を完全に放棄しているのではない。 この語が本来表わす対象 <ゴマ油> は、新しい表示対象 <油>の特殊例にすぎない。 したがって,<本来の意味> { ゴマ 油』)は,文脈的意味(『油』=『ゴマ油』+『カラシ油』 + etc.)の中に,保留されている わけである。また“kuntah pravisanti" における“kunta” の意味表示機能が upadana だとされているのは,この場合の文脈的意味『槍を持つ男』が,『槍』+『男』という形で, <本来の意味≫『槍』を量的に拡大したものだとされるからである)。 ところが SAR. =SADH. LAK. の方は、同じように ≪本来の意味が保留される といっても, upadana の場合のように,表示対象を量的に拡大する場合ではない。少年 を指して "sinho 'yam" という場合,“sinha" の文脈的意味は, 本来の意味>『ライ オン』に新しい意味『少年』を附加して、量的に拡張されたものではない。『ライオン』お よび『少年』という二つの意味が,それぞれ純粋な観念として同一の次元に並び,『ライオ ン』+『少年』(『ライオンと少年』, 『ライオンに乗った少年』)という形をとっているので はない。比喩手段としての対象と実際の叙述対象とは、全く別の次元に属するものであり, この二つの対象が、“simha" という一つの記号によって指示されているにすぎない。ヴァ ーヒーカ人が朗唱している様子を叙述して, "gauh pathati"という場合8), このことは 一そう明らかであろう。 さて Manikyacandra は, Mukulabhatta を引用してく聞き手の意識>に焦点をあ
SR No.269360
Book TitleLaksana Laksyartha
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages24
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size2 MB
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