Book Title: Vaisesika Dignaga
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Page 4
________________ インド学試論集I | と推理との知識(に関する説明〕 によって既に説明された,」と CVS, X, i, 3 に 190 述 べられているのに矛盾する。 四〔要素]の接触によって生じた知識と,確定によって1) 生じた知識とは同じでは ない。確定は思惟 (vikalpa) に先行され,[之に反して、四要素の接触によって生ぜ られる知覚は、純然たる対象の直観 (visayalocana-matra)だからである。 純然たる 対象の直観は,四〔要素]の接触によって生ぜられ [る直接経験 (anubhava) であっ て], どうしてそこには直観された対象の上に普遍 (samanya)等を附託 (adhyaropa) 「する] 思惟・考察があろうか。 疑惑はVS, I, ii, 17 に「一般相を知覚して特殊相を知覚せず,且つ特殊相を想起する ことにより疑惑がある、」と説明されている。 従って疑惑は,証相 (linga, 例:煙)の知 覚と,証相と証相を有するもの (lingin, 火)との結合関係の想起とに基づく,未知覚の 対象(遠方の山の火)の推理と,その成立過程を同じくしている。確定はVSに定義され てはいないが, Jinendrabuddhi によれば,「実在する対象との接触によって,まさしく これであって他のものではない,という確定が生ずる」のであって、実在する対象との接 触を成立の条件とする点に於いて、 確定は知覚と同性質のものと考えられる。VS, X, i, 3 は,かくて、疑惑・確定を夫々推理・知覚と同視しているのである。 Dignaga は、然し知覚が四要素の接触によって生じた知識と定義される限り,それは 確定によって生じた知識と同視し得ないことを指摘する。四要素の接触によって生じた知 識は,ただ対象をあるがままに直観するのみで,対象について思惟し判断するものではな い。此の事を Dignaga は感官の知覚を考察する際に明らかにしているが”), Prasastapada もまたそれを明説する)。之に反して、確定知は明らかに思惟に先行される。「此 れは牛であって水牛ではない、」という確定は、 確かに牛の知覚と同じく,実在する牛と の直接的接触によって生ぜられるが,そこには直観されたこれを牛の一般相に結びつける 思惟作用がふくまれているのである。 確定知のふくむ此の思惟作用の面を考慮の外に置いて、単に実在する対象との接触とい う面のみに於いてそれを取り上げ,感官と対象との接触によって生ぜられた知識と同一視 するのは不当である。 LBb) K 100a.3-5, V 196.4 (192.6-7). ct. J 54a.6-555.4 (61a.3-626. 4). | 感官と対象との接触が知識根拠であるという説に於いて,「接触」の語を,思惟に先 行される確定にまで] 拡大適用(atidesa) [すること]は決してない。 〔若し, Vaisesika の定説に従って,実体に内属する普遍等もすべて感官と接触する から、感官と対象との接触によって、普遍等に限定された実体の知覚即ち確定的知識も 生ぜられる,とするならば、コ感官と対象との接触が知識根拠であると主張する者の見 解に於いて,或る対象について,] 「これは何であるか,」とその限定要素を〕知ろう と思うとき、既に] 対象を全体的に把握していることになってしまう。(その際感官は, 実体とそれに内属する限定要素とを別々に捉えるのでなく、対象の] 全体と接触するか らである。

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