Book Title: Vaisesika Dignaga
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________________ VAISESIKA.の知覚説に対する DIGNAGA OULU (I) 服部 正明 Pramanasamuccaya 第1章は知覚(pratyaksa) を考察の主題とするが,他の章に於 いて Dignaga は先ず自らの学説を論述した後,諸学派の知覚説を批判している。その際 批判の対象として取り上げられるのは,何れも各学派に於ける知覚の定義で, Dignaga は其等の定義中の一語一語を厳密に検討している。 例えばVadavidhi に於ける tato 'rthad vijnanam pratyaksam という知覚の定義については, tatas, arthat の意味をあ らゆる面から考察して此の定義の不備を指摘するが,之と相似た方法によって Nyayasutra (NS) I, I, 4, Samkhya O Varsaganya 105713 srotradi-vrttih pratyaksam という定義, 及び Mimamsasutra I, i, 4 が彼に吟味され批判されている。 ところが Vaisesikasutra (VS) に於いては、知覚の条件や特質が諸所に散説されてい て、それらを総括的に定義として述べた特定の sutra は無い。 Prasastapada に至ると知 覚が明確に定義され分類されるが, Dignaga はそれを取上げていない。Sarakhya の知 覚説を批判するに当っては,Vargaganya の外に Madhava の異説を挙げ,Mimamsā 批 判に於いては Sutra 以外に Vrttikara の説にも言及し,更に Vaisesika 批判中にも Sutra に対する諸註釈者の見解に触れている Dignaga の態度から考えると, 恐らく Pratastapada は年代的に Dignaga に先行する学者ではなかったのであろう。以下の 和訳解説によって明らかにされる様に, Dignaga は, Vaisesika の知覚説が,基本的に は我 (atman)・感官 (indriya)・統覚器官(manas)対象(artha) なる四要素の接触 (samnikarsa)という点にあることを認め,それとの連関に於いて VS の諸所に説かれた 知覚説を批判するのである。 Dignaga は先ず次の如く Vaisesika の学説を紹介する。 CAaj K 996.6-8, V 192.7-196.1 (19a. 1-2). cf. J 53a.3-536.5 (596.4-60a.8) Vaisesika 学派の経典中には、ともかく,先行する sutra とのコ或る関係によって) 【意味が刀 完成される,実体(dravya) に関する知覚の定義がある。即ち, コ「我・感官・ 統覚器関・対象の接触によって成立したものはが,...推理とは別のものなる知覚) である」...と言うのである。

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