Book Title: Bhava And Svabhava 01
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Page 13
________________ 東方學報 六一八 論法」に加え、この「三つの矛盾」を批判の強力な手段として、「矛盾する屬性とむすびついた集合體は単一ではない」と のテーゼを確立するにいたる。これはがんらいダルマキールティの『プラマーナ・ヴァール ティカ第一章自注』に端を 發すると考えられ、同第二章第八四十八五偈にもとづく上述の『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』を介して、それ以降、 シャーン タラクシタとカマラシーラ、ダル モッタラ、ジターリ、アショーカによって「全體は矛盾する屬性とむすびつい (3) ているから単一ではあり得ない」旨の論證式が數多く構成された(ダル モッタラとアショーカについては再論する)。その 場合、「三つの矛盾」は式の具體的な說明として用いられた。また、「三つの矛盾」に加えて「全體は複數の場所を占める から単一でない」との第四の矛盾點も登場する。これはシャーンタラクシタとカマラシーラ、アショーカに見られる。他 方、このような佛教側の動向に對してニャーヤ側は徹底的に反論を加える。すなわち論理學的には佛教側の提出する論證 式の不備が指摘され、それと並行して存在 レヴェルでの部分と全體の別異性が更に強調されてゆく。また周知のことでは あるが、ダルマキールティが『プラマーナ・ヴァールッティカ』第三章第二○○偈で取り上げた黄色の問題を受けて、ヴ アイシェーシカが全體の色として斑色の単一性――それはウッドゥヨータカラによってつとに主張されていた――と非單 一性の問題をめぐり更に紛糾した議論を深めていったことも指摘しておくべきであろう。 しかしながら、これらのすべてを詳論することは本論文の意圖ではない。我々は、こうした流れの中にあって生じた論 理學的問題に焦點を絞って議論を進めたい。先述のように、佛教側は全體などどこにも見えないという。しかしニャーヤ 側は全體こそが見えているという。このような全く異なるテーゼが衝突するとき、對論は果たして可能なのか。歴史的に どのような軌跡をたどったのか。これを佛教の側に立って確認してみたいのである。

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