Book Title: Bhava And Svabhava 01
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________________ 知識論學派にとって非實在である以上、そのような主題を用いる論證式は非實在の誤認に陥るからである。ただし、この 問題を明確な形で最初に言い出したのが誰であったのかは明らかでない。また、小前提の誤謬としては、この「基體の不 成立」 (asrayasiddhi)のほかに、「自體の不成立」(svaripäsiddhi)がある。これは主題は存在しても、それがその本來 のありかたとして證因とむすびっかない場合であるが、部分と全體の議論ではこの誤謬もしばしば言及される。その具體 例はのちに確認することにしよう。 2 ニャーヤ・ヴァイ シェーシカの佛教批判 ダルマキールティの「三つの矛盾」を反論したニャーヤの著作として、バーサルヴァジュニャの『ニャーヤ・ブーシャ ナ』があり、山上氏によって和譯研究が進められている。ここでは氏の研究にもとづいて、バーサルヴァジュニャのダル マキールティ批判の一部を論證式の成立という觀點から確認したい。 「三つの矛盾」の第一點「全體は單一でない。 手等が動けば、 からだ全體が動くことになってしまうから」について、 バーサルヴァジュニャは、まず、論證式の(一)大前提について、式が(ィ) 自立論證の場合、肯定的過充關係も否定的 遍充關係も成立しないから誤りである旨の言明をしている。ただし、その根據は明確でない。また、自立論證という語そ のものは用いられていない。(口)歸謬證であるとしても、部分と全體は異なるから、部分が動いても全體が動くことに はならない、從ってやはり遍充關係が成立しないという。では(二) 小前提についてはどうか。歸謬論證の場合として、 次のようにいう。 ...歸謬論證も、「反論者である佛教の主張では]外界對象は元來存在しないのであるから安當でない。 なぜなら、正 常なものなら誰も次のようなことを確立するようなものはないであろう。 すなわち、「單一であるような石女の息子 部分と全能 六二

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