Book Title: Bhava And Svabhava 01
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Page 17
________________ 東方學報 六三 は存在しない。[なぜなら、もし存在すれば]手などが振動する時全身が振動することになってしまうから。 あるい はもし、振動しないなら動と不動とが別個に成立してしまうから、空華やろばの角のごとく。」と。 (山上課) ここで問題揶揄というべきか――とされているのは、論證式の主題が非實在であれば、論證は歸謬といえども成立し ないという點である。つまり、論證式に關するバーサルヴァジュニャの見解はこうである。自立的か歸謬かを問わず、全 體を否定する佛教の論證式は決して成立しない。その理由は、過充關係(大前提)が成立しないからであり、また非實在 を主題とした論證は成立し得ないからである。 彼は非實在の誤謬 (ášrayasiddhi)という語は用いないが、彼の意識の中に、 主題が非實在であれば論證式は意味をな さないという考えがあったのは明らかである。彼はこの問題意識を佛教の刹那滅論證に對しても抱き、同様の批判を行っ ているからである。例えば次に掲げるバーサルヴァジュニャの論難は、佛教側に強烈な衝撃を與え、ジュニャーナシュリ ーミトラとラトナキールティ(十一世紀)による利那滅論證の最終的發展を導く原動力のひとつとなった。 まず、もし「刹那的でないものは存在しない」と論説するために[論證式が] 意圖されたのであれば、この(否定的 遍充關係の)場合、いったい何が主題(dharmin) なのか。もし、それ(兔の角等の非存在物)が主題であるならば、 ほかならぬそ(の主題)の非存在を論證することはできない。というのも、主題が非存在であれば、證因の主題所屬 性が[成り立た]ない。 そして主題所屬性が「成り立た]なければ「證因は所證を]了知させるもの(gamaka)で はない。それ故、「刹那的でないものは存在しない」との主張は「成り立ち]得ない..., 以上で、 主張命題の主題か否定的喩例の主題かの區別はあるにせよ、「非實在のものは主題となりえない」との主張が、 全體等の非實在性の論證と刹那滅論證の二っに共通した問題提起としてあったことが理解できたかと思う。 ニャード・ヴァイ シェーシカの佛教の論證式への批判として、最も整然とした理論を打ち立てているのは、つぎに紹介

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