Book Title: Spiritual Place Of Epistemological Tradition In Buddhism
Author(s): Ernst Steinkellner
Publisher: Ernst Steinkellner

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Page 16
________________ 「佛教認識論の系譜の精神的地位」 —解説一 清水公庫 シュタインケルナー博士は佛教認識論,とりわけ7 世紀に活躍し、以後佛教内外に多大な影響を及ぼし たダルマキールティの専門家として知られている。佛 教認議論なる研究分野は、近代にはいり西欧人たちに より近代的な研究,特に言語的文献的なところに手が 加えられ、サンスクリット(梵語) ・パーリー語・チ ベット語などそれまで全くといっていい程手がつけら れていなかった文献が研究されるようになり、中国・ 日本に伝わらなかった6世紀以降の認識論・論理学 を中心とする佛教が知られるようになって開拓された 分野でうる。新しい学問分野ではあるが、今や百年二 世代の替を経て除々に新しい段階へと移行しつつあ る。博にはこの段階を将来に向っての計画をたてると いうだいではなく、従来なされてきた研究を再検討す るのにした時期と見做され,佛教認識論を佛教にお ける位付けという点から検討しようとされたのがこ の講演の目的である。 佛教の基本的姿勢や価値を歪曲し腐敗をもたらしたも のとする。逆に著名な『佛教論理学』を著わしたT. スチェルバッキーは、マルクスレーニン主義の風潮 の中でこの系譜を宗教的なものとは別な科学的基盤に たつ現代的な世界観に近いものと見做し,S.ダット も彼のインド文化論の立場から、伝統的宗教的なイン ドに西欧的現代的な意味で知の解放をもたらしたもの として賞讃する。併し、このような見解は全て佛教認 議論の系譜が佛教の伝統から遊離したものと見做し、 それぞれの立場からこの系譜を自分の見解に都合のよ い様に批難或は評価しているのであって、そのどれも がこの系譜に対する誤解をひきおこしてきたと博士は 評されている。 ではこの問題を解く糸口は何かということについて 博士は,彼らが問題にしていなかったこと、つまりこ の系譜の学匠達が自らの性格や目的・動機といったこ とをどう意識していたかといったことを検討すること によって得られる、これは佛教認識論の基礎を築いた ディグナーガにより意識され、その後の学匠達に承け 継がれ発展せしめられてきたことだから、とされ、デ イグナーガの著「プラマーナ・サムッチャヤ(集最論)」 の福故a(佛への敬礼という形でその意趣を述べる) を検討されている。 のうりょうろん “プラマーナ C正しい認識手段」となっておられ、 全有情の利益を追求され、師であり善逝であり、(諸 悪からの)擁護者たる彼(の佛陀)に敬礼し、私(デ イグナーガ)は正しい認識手段を確立せんとして, (多くの著作中に)散在している私の理論をここで一 つの思索のもとに統合することによりこの「プラマー ナ・ムッチャヤ」を編んだのである。” 紀元和二世紀頃よりインド哲学全般に認識論の訪芽 が見られるが、五世紀頃には高度に論理化した段階に はいり、その後の思想発展の方向がこれにより決定付 けられた、佛教に於いては六世紀前半にディグナーガ (陳那)が現われ、それまでの弁証論<古因明>の時代 と真に認識論的<新因明>な時代とに一線を画した。 この後,この系譜は十二世紀のイスラム侵攻によりイ ンドにおいて佛教が滅亡するまで,他学派に対し規範 となりつつも論敵として続いていった。この系譜は真 の意味では中国に引き継がれなかったが、チベット佛 教においては今でもその整合性を保って引き継がれて いる。 さて, 宗教である筈の佛教に、純理論的であり宗教 とは別なところにしか存在しえぬような認識論の系譜 が存在したということに我々は少なからず異和感を覚 えるのだと、こういったところに佛教認識論は佛教内 部に於いこどう位置付けられるのか、という疑問がで てくる。これについて博士は二つのとらえ方があった ことを指されている。 つまり, E.コンゼのような学者は,解脱という実 践的宗教な性格を強調するあまり、認識論の系譜を、 ここで問題にされるのは,佛陀の五つの特質として あげられている中の一つ、「プラマーナとなっておら れる」ということである。ディグナーガはこれを止し て、佛陀は誤っていたり疑わしいことを一切言わぬと いうことを保障する因位における決意と実践の成就, 又佛陀のとらえたことは他の有情にとって価値あるも のであることを保障する果位における自利と利他の成 就を発展させることにより「プラマーナとなっておら れる」のだとしている<Appendix 1>。これら因位 果位の成就という資質は菩薩の修行段階を述べている のだが,これらの資質とプラマーナであるという特質 との間には因果関係が存在する。 -16

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