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________________ るとして、全體を實體視する立場と真っ向から對立するのである。兩者の閒に激しい批判の應酬が繰り廣げられたのはい うまでもない。 この部分と全體の理論を、異なる學派の閒の對論という觀點に立ち、この議論に多大な變革をもたらした佛教のダルマ キールティ(六○○―六六○頃)を軸として、その前後の思想を檢證し、そこに何らかの意義と思想史的な流れを跡づけ ること、これが本論文の課題である。しかしながら、それに先立ち、從來の研究に立脚して全體 (avayavin) に關する基 本事項を確認しておかねばなるまい。 (全體 avayavin とは何か) 部分と全體の理論の萌芽は、つとに『ヴァイシェーン カ・スートラ』(五○|一五○頃に現形成立)の一ー一一八「實 dは別の實體を創始する」に見て取れるが、佛教のナ ー ガ ー ルジュナ(一五○|二五〇頃)と同時代に現形が成立した 『ニャーヤ・スートラ』の、二ーー―三一~三六および四―ニー七~一五において、初めて全體 (avayavin) という術語 を用いた議論が登場する。そしてそれ以降はむしろニャーヤ學派で議論され、スートラの相當箇所に對する注釋等におい て時代とともに精緻さを増し加えていった。 先にも觸れたように、スートラ成立の當初より全體を實體 (dravya) として實在視する背景としては次のような考えが あった。もし全體を實在としなければ、分析の究極的產物たる原子 (paramanu) こそが實在となろうが、それは感覺器官 でとらえることができないから、知覺が成立しないことになってしまう。そこでニャード・ヴァイ シェーシカは、「粗大」 なる知覺認識は粗大な存在を對象とすると考え、實體・屬性・運動・普遍・特殊・內屬關係の六つより成る獨自のカテゴ リカルな句義 (padartha) 論の基礎の上に、「粗大」なる認識の對象・大なる分量の基體として、諸部分とは全く異なる単 部分と全般 六〇九
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
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Publisher
Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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