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________________ 六三〇 東方學報 傾向として、自立論證であるのか歸謬論證であるのか判定し難くなって、兩者が極めて接近してきたからこそ根付いたの ではないか、そして、佛教側にこのような趨勢が芽生えていたからこそ、前述のニャーヤ・ヴァイシェーシカの「自立が 歸診か」との論難が提起されたのではないか、との假説を提示しておきたい。 四 おわりに アショーカの論法は、ディグナーガ以来の「主題は非實在であってはならない」との規則の枠内で「非實在の誤謬」を 處理しようとした結果であり、その點で興味深い。しかしながら、周知のとおり、彼の解決法が佛教側の最終解答であっ たのではない。ジュニャーナシュリーミトラとラトナキールティは、先に紹介したバーサルヴァジュニャ等の批判を受け て、主題はある條件のもとでは非實在であっても差し支えないとの立場に到達するのである。すなわち、非實在の主辭に 實在の賓辭を付して肯定的な命題を主張するのは誤りであるが、非實在の主辭を立ててそれを否定するような命題は何ら 誤りではない。ラトナキールティによれば、 例えば「免の角は青い」「石女の息子は話す」は誤りであるが、それらの命 題の否定としての「免の角は青くはない」「石女の息子は話しはしない」は、誤りではないという。彼はこの理論によって、 否定的遍充關係による利那滅論證の正當性を擁護しようとしたのである。さらにこの理論は、先に部分と全體の議論の文 脈で確認したバーサルヴァジュニャの揶揄、「正常なものなら次のように主張したりはしない。『石女の息子は単一でない。 なぜなら...』」を考え合わせるとき、一層おもしろいものとなるであろう。 我々が以上で確認したいのは、ジュニャーナシュリーミトラによって、それまで五百年閒も墨守されてきた「非實在の 誤謬」という足枷が完全に把擲されるに至ったこと、そしてそれに至る過渡的見解として、アショーカのような論證式の
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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