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________________ 小前提の處理の試みが存在したこと、の二點である。もちろん非實在の誤謬が問題になったのは全體の否定だけではない。 同様の問題は、普遍の否定や唯識の原子の存在性の否定に對するニャーヤ・ヴァイシェーシカからの再反論にも見て取れ る。そうではあるにせよ、部分と全體の議論を異學派閥の對論という觀點から見るとき、そこに顕著に見られた「非實在 の誤謬」という問題意識、あるいはより一般化して小前提の誤謬の問題意識は、刹那滅論證と共通し、その最終的完成へ の伏線として作用したのではないか、と思われるのである。 以上によって、筆者は次の諸點を明らかにし得たかと思う。 (一)ダルマキールティ以前の全體 (avayavin) の否定の仕方は様々であるが、そのうち主要な論法は「部分と全體の閒 に存在關係 (vrtti) があり得ないから」というものであり、この論法は佛教知識論學派とニャーヤ・ヴァイシェーシカの 閒の論爭で最後まで議論され横けた。また、それ以外にもディグ ナーガの『プラマーナ・サムッチャヤ』にみられる「全 體の重さ」をはじめとするいくつかの論法が存在した。 (二)ディグナーガの『取因假設論』から、總數の概念と全體の概念の相違とその關係、部分と全體の議論と佛の立場の 關係、の二點が試み取れる。 (三)ダルマキールティの指摘した「三つの矛盾」の影響の下に、「全體は矛盾する屬性とむすびついているから単一で はあり得ない」とのテーゼが確立し、シャーン タラクシタやダルモッタラ等によって、そのテーゼを論證するための種々 の推論式が構成された。このような趨勢のなかで、 非實在の誤謬(äŠrayasiddhi)に代表される論證式の小前提の誤謬が 問題視されるようになっていった。それはバーサルヴァジュニャのダルマキールティ批判、ヴァーチャスパティミシュラ のダルモッタラ批判、ヴィヨーマシヴァの批判等、十世紀頃のニャーヤ・ヴァイシェーシカ側の資料から判明する。他方、 部分と全般 六三二
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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