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________________ 東方學報」 六二八 であるとして、全體 (avayavin) とはしない。明らかに全體の単一性を否定しようとして論證式を立てたにもかかわらず、 である。しかしそうなると、論證式と全體は何ら關わりがなくなるから、論證式を立てても、全體の否定にはならないと いうパラドックスが生じてくる。まさしくこの點を反論者は突いたのである。ではアショーカはいかにしてこの狀況を脱 するのか。 (應答)それならば、では君のいう「全體」とは一體何か。それ(全體)は頼現している粗大で青い等の[對象]とは 別なのか、別ではない(同じな) のか。まず、別ではない。なぜなら、[君たちは全體を]知覺の對象として認めるけ れども、顕現している粗大で再い等の對象とは別なものが顕現しはしないからである。[從って、君たちのいう全體 は、我々の主題とする顯現している對象と別ではないことになるが]別でない(同じ)場合、それ(主題)の単一性 が否定されるときに一體どうして全體の単一性が否定されないであろうか。 主題「粗大で凄い對象」は、直観的知見のレヴェルで知識のうちに投げ込まれた形象として存在する。從って、それを主 題とする限り、非實在の誤謬とはならない。ところでニャーヤ・ヴァイシェーシカは、知覺の對象は全體であると主張す る。もちろん、佛教知識論の主張する「粗大で青い對象」とニャーヤ・ヴァイシェーシカが主張する「全體」は全く同じ ではない。しかし、兩者は「粗大で青い對象=知覺の對象、知覚の對象=全體」という點で共通する。從って、粗大で再 い對象の単一性を否定すれば、非實在の誤謬を回避しつつ、全體の単一性を否定したことになるではないか、とアショー カは考えたのである。我々はここで彼にとって、そしておそらく彼の生きた時代の思想的狀況の中で、非實在の誤謬が極 めて強く問題視されていた點を確認することができる。 小前提に對する彼の意識は『普遍の論駁』(Samānyadisana)にも確認される。「何であれ、認識の條件が備わっている にもかかわらず、存在として認識されないものは、非存在であると思慮ある人々は表現すべきである。例えば、空華のよ カいで
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
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Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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