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________________ 東方學報 六三四 ら、全體が正しく認識されている以上、それは正しい知識手段にもとづいているはずであろう。だから、佛教の論證 式は主題所屬性が成立しない點で、 正しい知識手段でないから無益である。(三) 自立論證にせよ歸謬論證にせよ、 (ィ) そもそもヴァイシェーシカにとって、存在性は存在關係に過充されない。 例えば虚空等の場合は、 存在關係な どなくても存在として認識されるから。従って、「存在するものは存在關係をもつ」「存在關係をもたないものは存在 しない」という佛教徒の主張する遍充關係は、不確定 (anekanta)である。 また(口)小前提が自體不成(svarapäsiddha)である點でも成立しない。すなわち小前提は「全體には存在關係がない」であるが、ヴァイシェーシカは、 逆に「全體は諸部分において存在する」と認めている。存在關係とは內屬のことであると確定しているからである。 次にヴァーチャスパティミシュラ說を確認しよう。しかしながらそれに先立ち、まず彼の『ニャード・ヴァールッティ カ・タートパリャ・ティーカー』に言及される佛教說を押さえておく必要があろう。 一方、ある者は次のように考える。 (大前提)存在するものはすべて部分をもたない。例えば知識のように。 (小前提)この時等の直接經驗によって確認された[對象]は存在する。 ((結論)再等は部分をもたない。) 以上は「自體」(svabhava) [という證因にもとづく論證式]である。 「無部分性」は「存在性一般」を遍充するからである。というのもこうである。単一なものの「存在性」は「矛盾す る屬性とむすびつかないこと」によって過充される。そして、それと矛盾するところの青等[の事物]の「矛盾する 屬性とのむすびつき」は、「有部分性」に付き従いながら、 自身と矛盾するところの「矛盾する屬性とむすびっかな いこと」を否定し、同時に、それ(むすびっかないこと)によって過充されるところの「存在性」も否定する。
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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