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________________ ( 8 東方學報 六一四 るテキストがある。ディグナーガの『取因假設論』(義淨譯)である。そこで次に、『取因假設論』に展開される「假象の 概念」と全體の否定の關係をまず確認した上で、全體の否定の意義を考えてみよう。テキストは次のように始まる。 (論にいう。)[およそ存在物は]「単一である」「異なる」「全くの非存在である」という「三つの] 極論を捨て去るた めに、偉大なるお方(佛世録)は假象に依據してものごとを假に設定して、佛法の要點を宣揚し、方便によって有情 が悟りに入り、理に叶った仕方でありのままに心を向けて(如理作意)誤った教えを離れ、煩悩を完全に捨てるように 仕向けようと望まれた。このような三つの極論には皆な誤りがあるからである。[以上のことを述べるために] 私は これから論澤(本論書)を始めよう。 さてこの「取因假設」には大略三種ある。第一は集合體(總衆)、第二は持續體(相續)、 第三は様態の差別(分位差別) である。 集合體とは、同時點での多數の存在の集まりをいう。 世閒一般の表現に從って、「単一である」と言われる。 例えば 身體や森林など。(...持續體と様態の差別は略...)以上の三つの存在に基づいて、 甚深の真意を秘めたことばとして、 人(プドガラ)がいるとか完全な寂滅を證するとか言われるのであるが、しかしこの三つのものは単に位の設定(假 象)に過ぎず、[本來は、存在を]「單一である」とも「異なる」とも「全くの非存在である」とも言うことは出來な い。そうした考えには皆な誤りがあるからである。 集合體(総聚)が三種の「取因假設」(質料因を取り込んで結果の存在を假に設定すること、すなわち假象)のひとつとし て扱われている點は從來の研究(注8)にゆずるとして、我々がここで注目したいのは、その集合體の例として身體と森 林が準げられている點である。というのも、ここに佛教のいう「集合體」の概念とニャーヤ・ヴァイシェー》カの主張す る「全體」の概念の閒の相違が試み取れる か ら で ある。すなわち、身體はニャーヤ・ヴァイシェーシヵにとっても全體
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
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Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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