________________ 說・單にダルモッタラの直後とする說があるが、いずれも確定的とは いえない。引用關係からダルモッタラ以降であるのは確實であるが、 下限は不明。とくにヴァーチャスパティミシュラとの先後關係が問題 である。筆者はいまだ結論に至っていない。彼の立場と年代の確定基 準としては今のところ次の貼がある。(一)アショーカの『普遍の論駁』 とジュニャーナ シュリーミトラの『アボーハ論』に共通の一偈の引用 がある(校訂者タクル氏の指摘。ちなみにラトナキールティの『アポ 1 ハの成立』には引用されていない)。(二)ジュニャーナシュリー、 ラト ナ キールティ、アショーカの寫本が一緒に發見された。(三) ア ショーカの主張と酷似するパッセージをヴァーチャスパティが引用し (3) Avayavinirakarana (n. 15), p.1, 11.819. ($) アショーカは粗大な對象は諸原子の開隙のない (nirantara-) 集合體 であり、粗大性 (sthilatva)とは場所的ひろがり(vitatadesatva) のことであるという。同様の說は『ダルモッタラ・プラディーパ』、 『タルカバーシャー』に見える。 (8) Samanyadisana (n. 15), p. 13, 11. 5-9, 10-13, p. 14, 11. 1-2. (3) 梶山雄一「ラトナ キ ー ルチの蹄謬論證と內過充論の生成」『塚本博士 頌毒記念佛教史學論集』一九六一、二六五十二六六頁。ラトナキール ティ說はもちろんジュニャーナシュリーミトラ說を踏襲する。JianaSrimitranibandhavalik (n. 20), p.89ff. 兩者の思想の異同について は今後の課題である。 (3) Vyomavati (n. 21), p.225, 11. 3-10. 時代は下るが、アパラー ルカデーヴァの『ニャーヤ・ムクターヴァリー』にも見える。ed. S.S. SNOO Samanyadusana, p. 14, 11. 19-21; idam eva hi pratyak. sasya pratyaksatvam, yat svarupasya svabuddhau samarpanam/ idam punar mulyadanakrayi samanyam svarupam ca nadarsayati, pratyaksatam ca svikartum icchati / NVT, p. 478, l. 17; yad ahuh so 'yam amulyadanakrayi svakaram ca*) jnane samarpayati pratyaksatam ca svikartum icchaty avayaviti / (*) ;) + Sastri and V.S. Sastri, Nyayasarah of Bhasarvajna, with the Commentaries Nyayamuktavali of Apararkadeva and Nyayakalani. dhi of Anandanabhawacarya, p. 133, 11.5-7. かや く ミ 1ストリは “ca”を“na"と讃むように指示する。Shastri (n. 1), p. 255, n. 37, p.332, n. 71. デーヴァはダルモッタラを踏まえた論證式 (ns. 22, 23) 等を撃げる點 (ibid. p. 131) で、ヴァーチャスパティミシュラとの近似性を示す。 部分と全 六三五