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________________ 東方學報 六IO佛教論理學において、小前提の成立は、證因(媒名辭 hetu)の主題(小名辭) 所屬性 (paksadharmatva) を條件とす る。立論者がある證因を立ててある主張を論證する場合、立論者・對論者の双方が證因の主題所屬性を等しく認めなけれ ば正しい意因とはされない。佛教論理學をはじめて體系化したディグナーガの分類に從うならば、(イ)双方が認めない場 合や(口)いづれか一方の者が認めない場合、または(ハ) 疑わしい場合、(三)證因の所屬する基體である主題そのもの がそもそも實在しない場合には、主題所屬性は成立し得ないのである。このうち、我々の目下の議論に關係するのは、特 に()である。論證式の主題 (dharmin) すなわち證因の所屬する基體 (asraya) が非實在の場合、そのような誤った證 因は、主題不成立 (dharmyasiddha)ないし基體不成立 (ášrayasiddha)の證因といわれ、ディグナーガ以來、擬似證因 のひとつに數えられる。 そして後代、 このような誤った證因にもとづく論證上の誤謬は「非實在の誤謬」(基體の不成立、 asrayasiddhi=äŠrayasiddhatva)といわれるようになる。 「ディグナーガの當初、この誤謬は一方的な論理を排除し、立論者と對論者の双方がフェアな土俵の上に議論を進め、論 爭の秩序を維持するためには必須の規則であったと推察される。しかし後代になって二つの局面で問題が生じた。ひとつ は「空華」や「兔の角」のごとき本來存在しない否定的喩例 (vaidharmyadrstänta)の問題であり、 それは刹那滅論證 で再三取り上げられた。もうひとつは、全體の存在性を否定するような場合である。すなわち、對論者(ニャーヤ・ヴァ ィシェーシカ)だけが一方的に存在すると認める全體の存在性を否定するために、その存在を認めない立論者(佛教側) が、全體を主題とする論證式を立てることが果たして可能なのかどうか、という問題である。これはまさしく《論證上の パラドックス》と呼ぶにふさわしい。なぜなら、非認識 (anupalabdhi)という證因は、ダルマ キールティによって事物 の否定 (pratisedha)を目的として設けられたにもかかわらず、皮肉なことに、非認識を證因とする自立論證のかたちで 「非實在のものを非實在である」と立證することは、無條件には成立しないのである。「兔の角」と同様に、「全體」は佛教
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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