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________________ こうした佛教からの全體批判の流れの中にあって、さらに大きな影響を與えた人物がいる。ダルマ キールティである。 彼は全體が「単一である」とされる點に三つの矛盾を突き付けることによって、全體の實在性を批判した。『プラマーナ・ ヴィニシュチャヤ』の外界實在論批判の文脈で「身體」の場合を例にとりながらいう。 . J ...全體は單一な認識對象としてそのような(粗大な)顯現をもつものではない。 もし[単一で]あれば、(1) 手など[の部分」が動けば、(ィ)[身體の]すべてが動くことになってしまうから。あ るいは(口)[すべてが]動くわけではないというのであれば、動く〔部分]と動かない[部分]は、水と布のよう に、別個に成立する(身體の単一性と矛盾する)ことになってしまうから。 また(二)一部が覆われれば、() すべてが覆われることになってしまうから。[単一な全體に]區別はないからで ある。あるいは(口)何ものも覆われはしないのだから、[一部が覆われても]すべてがくまなく知覺されることにな ろう。(反論)部分を覆うことは全體を覆うことにはならない。(應答)大部分が覆われてさえ[全體は]覆われては いない [ことになる]から、[覆う]以前と全く同様にこれ(對象)が知覚されることになってしまう。(反論)部分 の知覺によってそれ(全體)は知覺されるのだから、知覚されていない部分を有するそれ(全體)は見えないのだ。 (應答)否。どこもかしこも見えないこと に なってしまうから。なぜなら、すべての部分を知覚することは不可能だ から。いくばくかの部分が知覺されれば全體が知覺されるのだとしたら、同様に、ごく僅かの部分が知覺されただけ でも粗大な認識が得られることになってしまう。 また(三)一部分が赤く染まれば(ィ)全部が真っ赤にみえるか、(口)[部分がすべて赤くても、全體は全然]赤く ないものとして認識されることになってしまう。 この言明が後代に與えた影響は極めて大きい。 ダルマキールティ以降、佛教からの全體批判は、從來の「存在關係による 部分と全般 六一七
SR No.269522
Book TitleBhava And Svabhava 01
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages30
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size3 MB
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