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________________ ダルマキールティの「本質」論 信できない (54) このように、Dharmakirti は論理学レヴェルの svabhava(所証)を論ずる際にも、 容易に存在レヴェルの議論に立ち戻るのである。この点からも、この二つのレヴェル の bhava と svabhava の表裏一体性が窺われる。 さらにまた、推理によって帰結された無常性(所証)と実在との関わりはアポーハ 論の文脈でも次のように詳述されている。 (反論)相違(bheda)を特徴とするこの一般者(samanya = 概念)によって . 「[これとこれは] 同じ」と理解される[対象]は個別相なのか、あるいは全く 別のもの(一般相)なのか。もし個別相ならば、「直観の対象である個別相が] どうして概念の対象となろうか(ならない)。あるいはもし、別のもの(一般相) に基づいて[「同じ」と理解されるのであれば、一般相に]どうして効果的作用 があろうか(ありえない)。そして[推理によって概念的に理解された]無常性 は、個別相において理解されたわけではないのだから、実在の無常性そのもので はない。だから「それは]実在の属性ではない。 この反論に対し、Dharmakirti は、まず概念が潜在印象の本性に基づく迷乱にほか ならないことを確認した後で次のように述べる。 .[概念的]認識のうちに顕現したそれら対象が、それ (samanya)によって 「同じ」と理解されるのである。あるものからの排除によって顕現しているので あるから。[それは] 個別相ではない。それ(観念)のうちに「個別相は]顕現 しないから。そして、それら(対象)は、Xから排除されるだけでなく、さらに Yからも排除されるものとして、区別なき同じものとして顕現する。それ自体実 在ならざるものを、そのように(実在であるかのごとくに)観念によって示すの であるから、全くの誤った対象に対して、[人は] 同一基体性や普遍といった表 現活動を[営むのである]。 すべてこれ(概念)は、ほかならぬ個別相の直観に基づいて形成された潜在印 象によって作られた迷乱である。だから、それ(個別相)に連関して生じた観念 は、それならざるものが顕現しているだから迷乱である」とはいえ、ちょうど宝 石の輝きに対して宝石[そのもの」だと思って[走り寄る場合の]迷乱と同様に、 斉合性(avisamvada) がある。[他方、] それ以外(個別相と連関していない 単なる観念)には、ちょうど燈火の輝きに対して宝石だと思って走り寄る場合の ように、斉合性はない。「なぜなら、この後者の場合も、先の場合と同様に]そ れ(個別相)の相違が顕現しているとはいえ、見たままの特徴に従わずに、何ら かの共通性を概念的にとらえることによって、全く別の特徴を付託捏造するから である。従って、概念の認識対象であるものは効果的作用をなさない。 -23
SR No.269490
Book TitleBhava And Svabhava
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages44
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size5 MB
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