________________ 「仏教認識論の系譜の精神的地位」(清水) ことしよりなされていたのである。そして“互恵性は こういったところにもたらされるのである。 以の考察を通してシュタインケルナー博士は当初 の問いに次のような解答を与えられている。ディグナ ー ガス・プラマーナの体系を構築しようとしたとき「そ の構には,佛陀の言葉によって指示された人間活動 と解をされる佛教,そういうものの哲学的な基盤への 思索社含まれている。歴史的にはこのことは弁証論・ 論理:・一般認識論に対する興味が増すことによって 発展してきた3~4世紀以降の一般哲学に佛教も参与 した,ということでしかない。」しかし「認識論は体 系的は、哲学を細密に説明するための必須条件」であっ た。この体系化を最初に行ったのはサーンキャ(数 論)学派のヴルシャガナ(4世紀初)と目されるが, その哲学体系からインド諸哲学派の認識論が発展した とされている。そしてこれらの認識論は全て各々の体 系的思索から遊離することはなかった。そして先述の 如く「佛教認識論も人間活動を決定付ける価値や目標 についての特定の秩序と関係している」のであり,ス チェルバッキーの言うような非宗教的で価値観を排除 した“実証科学となることはなかった。したがってく このような佛教認識論の性格を無視して研究・評価さ れてはならない。 そして最後にシュタインケルナー博士は,「佛教認 識論はインド哲学史や人間の心の歴史においてだけで なく,宗教としての佛教の歴史においても真に相応し い地位を得ている。」としめくくられている。 (しみず・こうよう 南都佛教編集委員) -18