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________________ ダルマキールティの「本質」論 ある一群のもの(X={x1, X2, X3, ...... })が知覚されると、知覚の条件を備 えていたにもかかわらず[それまで] 知覚されなかったもの(Y)が知覚される に至り、そしてそれら (x1, xz, xs, ......)のひとつ(x)でも欠けると[Y もまた]知覚されなくなる場合、Yはそれの結果である。そして煙の場合これが 妥当する。 (注)「それ」は、直接的には Xを指すが、Dharmakirti の存在論全体を考慮す ると、Xに代表される「原因総体X」 (hetusamagri) を指す。 以上が因果関係の確定方法についてPVSVの述べる唯一の箇所であるが、続いて彼は 次のように議論を展開する: それ(原因、火)なしにそれ(結果、煙)が存在するならば、「結果が必ず] 原因をもつ「という前提事実]を侵害するであろう。たとえ一度だけでもそのよ うに(煙が火の結果として)経験されれば、その[経験]から[煙は火の」結果 であると成立する。なぜなら、もし [煙が火の]結果でないならば、「煙は]一 度たりとも原因ならざるもの(火)から[生じ]ないから。 さらに、もし結果がそれ自身の原因なしに存在するならば、原因をもたないも のとなろう。 [およそ]AがBなしに存在するならば、BはAの原因ではない。 そして「今の場合] 煙は火なしに存在する[と仮定されている。]従って「火は] それ(煙)の原因ではない「と結論されるで]あろう。 さらに彼は、bhava のひとつとしての煙は時間的場所的に他の原因に依存している 旨を次のように論ずる: 「〔煙を〕原因をもたないもの(と仮定するならば、そのようなものは他に依 存しないのだから、常に存在するか、[常に]非存在かのいずれかである。[し かし実際は]諸存在物(bháváh)はある時にのみ存在する(kadacitka-)。[従っ て、この仮定は誤りであり、そのある時にのみ存在するという性質は、煙が〕他 (火)に依存することによるのである」(=v.35)。というのも、煙が原因をもた ない場合は、他に依存しないのだから、あるときに存在しないということはあり えない。それがあれば「それが生じるための原因総体に] 欠損はないのだから。 例えばこちらが望んだ時点のように。あるいは(そうでなければ)、「煙は]そ の(存在している)時点にも存在していないことになろう。なぜなら、非存在の 時点と何も違いはないのだから。 [しかし] 実際は、他に依存していることによっ て、諸存在物(bháváh)はある時にのみ存在する。存在の時点にはそれ(結果) が生じるための能力が結び付いており、非存在の時点にはその能力が結び付いて いないからである。なぜなら、もし場所と時間が等しく共に能力と非能力を備え ていれば、それ(結果)をもつこと・もたないことに何ら必然性がなくなるから (42) -16
SR No.269490
Book TitleBhava And Svabhava
Original Sutra AuthorN/A
Author
Publisher
Publication Year
Total Pages44
LanguageEnglish
ClassificationArticle
File Size5 MB
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